てんしのひとみ | Best Production | ||
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●遠慮なければ近憂あり
これは『論語』に収録されている公子の言葉である。
「遠慮」は今ではもっぱら控えめに辞退するという意味で使われているが、もともとの意味は、遠い先のことまでよくよく考えておくことを意味する。
逆に言えば長期的に考えないから目先のことで一喜一憂するのである。それがこの言葉だ。目先にことで一喜一憂することが「近憂」である。
現代のように変化の激しいときには、目先のことで、いちいち気にしていたのでは、不安にさいなまされてしまうし、第一、身が持たない。どんなに考えてみても、堂々巡りをするだけで、不安材料が次々と出てきて安心立命などはできそうもない。
こういうときは、目をはるか彼方に向けるにかぎる。
兵法家呉子に、こんな言葉がある。
―――高きに上りて四望せよ。
「湿地帯に入り込んでしまったときは、ウロウロせずに、少しでも高いところに昇って四方を観察せよ」というのである。これは「遠慮する」と同じことである。
長期の見通しを立てるには、まず立脚点をどこにおくかということが肝心である。現在と同じ立脚点では同じ範囲でしか見通しが利かない。立場を変えてみる必要がある。
やはり公子の言葉に、こうある。
―――知者は憂えず。
知者とは先行きを見通すことができる人であり、見通しが利くから、目先のことでいちいち心配しないのである。
ものしりコラム
【啓 発】 人の知能を開発することを「啓発」という。 この言葉は「論語」の公子の言葉が出典である。すなわち、孔子は「憤せずば啓せず。俳せんずば発せず」といっている。憤はあふれそうになっている状態を指す。俳はうまく表現できずに口ごもっている状態である。啓も発も開くということだ。つまりやる気になっているような者でなければ指導しても意味がないということなのだ。これを縮めて「啓発」という言葉ができたのである。 |
●彼を知り己を知れば百戦殆(危)うからず
「相手を知り、自分を知っていれば、何度戦っても危なくない」
もともと、二千数百年前に中国で活躍した「孫子」という兵法家のいった言葉で、戦略占術の教科書『孫子』にある言葉だが、何も戦争だけではない。いろいろな場合に応用される考え方である。
彼女をモノにするには、相手が何を好きか、何が嫌いか、どんな性格なのか、どんな生活をしているのか。まず一通りのことを知っておく必要があるだろう。
一方自分のことだってよく自覚しておかなければならない。自分のどういうところが人に好かれるか。どんなところは嫌われるのか。話し下手か、話し上手か。どんな話しが得意なのか。
こうしたことを承知の上でアタックしなければ成功はおぼつかない。こうしたことを承知の上で作戦を立てれば、まず失敗することはなかろう。
ビジネスでも、この言葉は生かされる。
お客のニーズを知らずに、いくら売り込んでも売れるはずはない。
マーケティングはまさしく「彼を知る」ことである。
自己のことについての認識も充分でなければ事業は成り立たない。意欲だけあっても、己の実力や置かれている状況を知らなければ独りよがりになってしまい。成果を上げるどころの話しではない。
交渉ごとでも同様である。事前準備もなしに交渉しても成功はしない。やはり、事前に相手についての調査研究をみっちりやっておく必要がある。もちろん自分の実力についての認識も必要だ。
さて「孫子」はこの言葉に続いて、こういっている。
―――彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ず殆うし。
「相手についての認識はないが、自分の実力は充分に認識している。こういう場合は一勝一敗だろう。相手についても自分についても何の知識もない。こんな場合だったら、これはもう、いくら戦っても必ず敗北する」というのだ。
いわれてみれば当たり前のようだが、実際には何事についても「彼を知らず己を知らず」に取りかかることが多いのが現実である。
とかく意欲と希望が先に立って、そうした調査研究という地道な努力を怠ってしまうのである。これでは「アタック」も成功するはずはないではないか。
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●百戦百勝は善の善なるものあらず
この一句に続けて「孫子」はこういっている。
―――戦わずして人の兵を屈するが善の善なるもなり。
「最高の策は、戦わないで相手を屈服させることである」
というのだ。
いうまでもなく、戦火を交えれば、当然なことに、こちらも被害が出る。それに、戦いは限りなく危険性を伴う。
戦わないで相手を屈服させることができるならば、これに越したことはないのは当然である。
ところが、この当然なことがしばしば忘れられる。厄介なことに人間は、“闘争本能”がある。その本能のままに、戦いの目的から離れて、戦うこと自体を目的としてしまうことがあるのだ。
戦いはあくまで数ある手段の中の一つに過ぎない。
では、はたして戦わないで勝つことが出来るのか。
「孫子」はできるという。
その手段は「謀」だ、と「孫子」はいう。
―――上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ。
最高の策は策謀である。それは頭の勝負である。
その次は敵の同盟関係を打ち破り、敵を孤立させることだ、という。
戦火を交えるのは下の下である。
こうなると、肝心なのは「戦略」である。戦略を抜きにして、闇雲に行動するのは厳に慎まなければならない。
いささか話しが飛躍するが「孫子」のこの言葉は、戦争に限ったことではない。
例えば企業活動についても、これは当てはまる。
企業の目的は、社会的責任を別にしていうと、利潤を上げることである。
ところが往々にして、利潤よりも、売り上げを増加させることだけに目がいってしまうことがある。だが売り上げ増大は「善の善なるモノ」ではない。「上兵」は利潤の増大である。売り上げは利潤を得る為の手段に過ぎない。
戦いはあくまで手段に過ぎないこと、そしてそれは最小限にとどめるのが上策であることは、さまざまな場合について当てはまるのである。
●帷幄の中に策をめぐらす
「帷幄」は陣幕。つまり本陣のことである。
第一線、現場は守論大切だが、より重要なのは、本陣の中で計画を練り上げることである。第一線や現場では直面している問題に対応することが何よりも重要だから、長期的に展望したり、大局的に状況を把握することは難しい。つまり、現場は戦術本意であって、大きく全体を見渡して戦略的に判断することは本陣の任務である。
本陣の中で大局的に計画を練り上げることが、第一線の動きを的確なものとするのだ。
秦が滅んで、項羽と劉邦が天下を争い、結局、劉邦が漢帝国を樹立するのであるが、劉邦はこんなことを述懐している。
「帷幄の中に策をめぐらし、はるか離れた戦場での勝利を保証するという能力では、わしは張良に及ばない。内政を充実し兵糧を調達するといった能力では、わしは蕭何に及ばない。百万の大群を指揮して敵を討つという能力では、わしは韓信に及ばない。いずれも傑物である。ただ、わしは、この傑物を使いこなすことができた。これがわしの天下を取れた理由だ」
張良は、直接戦場に出ることは少なかったが、本営で参謀役を果たしていたのである。
高祖については、こんな故事もある。
論功賞に際して、劉邦は、やはり戦場に出なかった蕭何に最大の領地を与えた。戦場で活躍した功臣たちが不満を漏らした。
「われらのうち、多い者は百数十回も戦場に身をさらしました。それなのに、もっぱら机上で計画を練っていた蕭何殿が最上位とは、納得できません」
すると劉邦はこういった。
「おまえたちは狩りというものを知っているだろう」
「知っておりますとも」
「では猟犬を知っているだろうな」
「もちろんです」
「狩りで獲物を追いかけてしとめるのは犬だが、それを指図するのは人間だ。おまえたちはいってみれば犬の手柄なのだ。そこへ行くと、蕭何は指図する人間の功績だ。その功績が一番大きいといわなければならない」
劉邦は口の悪い人間で、「犬の功績」というのはいささか極端な言い方だが、「帷幄の中に策をめぐらす」ことを、彼がどんなに重視していたかが読み取れる。参謀の極端な重視も考え物だが、大局的な計画は絶対に必要である。
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●勝兵はまず勝ちて後に戦いを求む
この言葉の後に「敗兵はまず戦いて後に勝ちを求む」(負ける軍隊は、戦いを起こしてから勝とうと努める)とある。
先の太平洋戦争で、日本はまず南方を制圧し、それから資源を確保して勝利の態勢を整えるという基本戦略であった。まず戦いて後に勝ちを求めたのである。
一方、アメリカは軍需生産を充実させ、勝利の態勢を整えてから反抗を開始するという戦略であった。まず勝ちて後に戦いを求めたのである。
これでは勝利は自ずから明らかだった。
日本の戦史でもっとも有名な関ヶ原の戦いについても、このことが言える。
東軍の徳川家康は、天下の大勢を握った上で決戦を求めた。これに対して、西軍の石田三成は、とにかく合戦で勝利をおさめ、それによって徳川方の勢力を覆そうとしたのである。順序が逆だったのだ。
『孫子』はなお次のようにいう。
―――よく戦うものは勝ちやすきに勝つ者なり。
戦上手は、勝ちやすい状態にしておいてから戦いを起こして勝つ、という。
これも標題の言葉と同じ趣旨である。
また、こんな言葉もある。
―――よく戦う者は、まず勝つべからざるをなし、もって戦いの勝つべきをなす。
戦上手はまず不敗の態勢を整えた上で、必勝のチャンスを待つ。
「必勝の信念」などに寄りかかって、危ない戦いはしない、「孫子」の万全主義がよく示されているのである。
ものしりコラム
【虎の巻】 自習のコツをまとめた本、いわゆるアンチョコを「虎の巻」というが、もともとは兵法の秘伝書。兵法七書の一つ、「六韜」は文韜、武韜、竜韜、虎韜、豹韜、犬韜からなる。 その中の虎韜から出た言葉。 |
●兵は国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからず
『孫子』の兵法の冒頭にある一節である。
「戦争は国の生死、存亡をかけたものだ」
戦争に限らず、何かことをなす場合に、いい加減な考えで出発することが多いが、ここまで真剣に考えて着手する必要がある。
『孫子』はここから一歩進めて、ではどうすればよいのかということを論じているのである。それが「五事七計」である。
まず「五事」つまり五つの要素だが、それは次のようなものである。
第一に「原則」はあるか。原則は、人々に指導者と同じ気持ちを持たせるもので、これがあることにより、全員が危険を恐れず生死を共にするようになる。
第二に、「天の時」、つまりタイミングはよいか。
第三に、「地の利」、つまり足場は悪くないか。
第四に、「指導者」の条件はあるか。指導者に知恵・信義・仁愛・勇気・厳正の五つがあるか。
第五に、組織・規律・装備は整っているか。
開戦に先立ち、この五つを充分にチェックせよというのである。
次に「七計」である
第一、 敵味方の君主は、どちらが正しい原則、具体的な方針を持っているか。
第二、 将はどちらが有能か。
第三、 天の時、地の利はどちらが得ているか。
第四、 組織・規律・装備はどちらが整っているか。
第五、 兵士はどちらが強いか。
第六、 部隊はどちらがよく訓練されているか。
第七、 信賞必罰はどちらがはっきりしているか。
「孫子」はこの七基準によって判断するのである。
さてこうした条件は、いずれも静的なものだ。内的な力である。いよいよ戦争となれば、これが絡み合って動的な力に転化し、外に向かって発揮される。
その場合、もう「足し算」ではいかない。無限に変化するのであり、臨機応変の措置がものをいうのである。
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●敵を動かすには、これに形すれば敵必ずこれに従う
「ある形を示し、敵が自分から動くように仕掛ける」
ということから、これを“示形の術”という。
『三国志』の山場の一つに「五丈原の戦い」がある。蜀の諸葛公明と魏の司馬仲達とが数ヶ月に渉って五丈原で対峙し、結局は孔明の病死で幕を閉じるのだが、この戦いで、孔明は“示形の術”を使っている。
両者とも遠征軍だが、孔明の方が根拠地からの距離も遠く、物資輸送も困難であった。そのため、孔明はどちらかといえば短期決戦をんねらったが、仲達は敵の消耗を待つ作戦でなかなか陣地から打って出ようとはしない。
そこで孔明は仲達に婦人の衣服を贈った。男なら出てきて戦えという徴発である。現在の常識からするとどうということはないが、当時にすれば大変な侮辱で、普通なら打って出るところである。孔明はそれを狙い、“示形の術”を仕掛けたのだ。
だが相手の仲達もさる者である。この挑発に乗らず、なお陣地に籠もったままであった。仲達からすれば、「戦わずして」相手の兵を屈しようとしたのだ。
この対決は、孔明の“示形の術”が不発に終わって効果はあげられなかったのであるが、成功した例も多い。戦国時代のこと、魏の遠征軍が趙の都を包囲した。趙は斉に救いを求めた。斉王は救援を決意し、将軍の孫殯に救援部隊を率いて急行させようとした。
だが孫殯は反対した。
「喧嘩の仲裁をするには殴り合いに加わってはなりません。また、もつれた糸をほぐすには、やたらにひっぱってもだめです。この際、わが軍は趙の都は放っておいて、魏の都を攻めるのがよいでしょう」
魏の本体をつき、趙から手を引かなければならないような状況を作り出せば、魏は動かざるを得ないということである。
この作戦を実施すると、はたして魏は趙の囲みを解き、本国に急行した。孫殯の率いる斉軍はこれを待ち伏せ、さんざんに打ち破った。
この故事は“魏を囲んで趙を救う”といわれるものである。
無理矢理に攻めるのではなく、魏が引き上げなければならないような状況を作り出した為、魏はすすんで撤退したのだ。
つまり、斉は間接的に魏の動機付けをしてコントロールしてしまったのである。
この考え方は、戦争以外にも応用範囲が広い。
●兵は拙速を聞くも、いまだ巧の久しきを賭ざるなり
「兵は拙速を貴ぶ」
という言葉がよく使われるが、その原点はこの一句である。
「戦さは多少手際が悪くても、素早く勝負をつけた方がよい。戦術が巧妙でも、それが長続きしたためしはない」
戦争はたとえ勝つとしても、長期戦になれば兵力を消耗し、士気も衰える。攻撃力には限りがあり、長らく軍隊を駐屯させれば国費が不足する。
消耗の激しい戦いは、短期で終わるのに越したことはない。
『孫子』はさらに続けてこういっている。
―――兵久しくして国に利するは、これあらざるなり。
いうまでもなく、戦いは勝つことが目的である。戦うこと自体が目的ではない。ところが、戦いは、肝心な目的を忘れて、戦う為に戦うようになりがちなのである。
かつて中国との十五年戦争で、日本はどんどん戦線を拡大し、次第に泥沼にはまりこんでしまった。戦うことが目的となり、そのために戦うという悪循環で長期戦になってしまったのである。
『孫子』はまた、こうもいっている。
―――兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。
問題は勝つことであって、長く戦えばよいというもではない。
戦いはエネルギーの爆発である。ダラダラしていたのでは、爆発力は緩んでしまう。短期間の間にエネルギーを集中すればこそ、強力な力を発揮するのである。
ものしりコラム
【臥薪嘗胆】 ある目的を達成する為に非常な苦労をし、堪え忍んで努力することを「臥薪嘗胆」というが、これは前五世紀、揚子江の下流地域で対立していた呉と越の故事から生まれたものだ。 まず、呉王闔閭が悦との戦いで死んだ。太子の夫差は復讐を誓い、薪の上に寝起き(臥薪)して、その傷みにつけても復讐心をかき立て、見事に越を打ち破った。 今度は越王勾践が報復を誓い、肝をなめて(賞胆)は、その苦さにつけても報復心をかき立て、数年後、呉を滅亡させた。 |
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●よく戦う者はこれを勢いに求めて人に責めず
「戦上手は、個人個人の能力を求めるよりも、全体の勢いを重視する」
もちろん個人個人の能力は必要だ。だが、それがバラバラでは意味がない。全体としての勢いが必要なのである。いってみれば大きな流れを作り出すことである。流れができれば自然に動いていき、構成員の力量に多少のばらつきがあっても、それは問題にならない。
孫子の兵法に“激流の計”“円石の計”といわれる戦術がある。その原理はこうだ。
―――激水の疾きこと、石をも漂わすに至は、勢いあればなり。
「激流は本来なら沈んでしまう石も浮かべて流してしまう。それは水に勢いがあるからである」
部下を動かすには、こういった勢いを作り出すこと。これがすなわち“激流の計”である。
また、こういう。
―――木石の性は、安なれば静に、危なれば動に、方なれば止まり、円なれば行く。故によく人を戦わしめるの勢い、円石を千仞の山に転がすがごとくなるは、勢いなり。
「木や石は、安定した位置にあれば動こうとはしないが、不安定であれば動くものだ。また、四角な形状であればじっとしているし、円い形状だったら動き出す。つまり、戦上手という者は、部下を戦わせるのに勢いをつける。それはちょうど、丸い石を深い谷底に落とすようなもので、勢いが続くのである」
危機的な状況を作り出して部下を奮起させる勢いをつける。これがすなわち“円石の計”である。
こうなると、ひとりひとりの能力はそれほど問題にならないのである。個人にも組織にも、リズムがある。このリズムを作り出すことなのだ。言い方一つでも「やりなさい」というように命令的に押しつけるよりも、「さ、やろう」という方がはるかに“自発的なやる気”を起こさせる。
構成員のやる気を引き出し、それを全体の大きな流れにしてしまうこと、それが“激流の計”なのである。
また、組織が完備し、環境が安定していると、とかく守りの空気が充満し、積極的な気風がなくなってしまう。むしろ、危機意識を持った方が、全員のやる気が生まれてくるのである。
全体にやる気が生じ、盛り上がってくると、多少、消極的だったり批判的だったりする者も、全体の空気に引きずられ、やらざるを得なくなってくる。
●上下、欲を同じくするものは勝つ
ここでいう「欲」は、ただ「欲望」というだけでなく、広く「目標」という意味を持っていると解釈できる。
「上と下が共通の目標を持っている場合は成功する」
「同床異夢」という言葉がある。同じベッドに寝ていながら違う夢を見ている。つまり行動をともにしていながら、全く違うことを考えている場合のたとえである。
これでは成功するはずはない。
これに反して、目標を共通にしている場合は、それぞれ全力を尽くし、共通の目標実現の為に協力するから強い力を発揮するのである。
組織を動かすリーダーは、全員が参加してやる気を起こすような目標を見いだすことが成功への第一歩である。
企業の場合について考えてみると、大企業になればなるほど「上下、欲を同じくする」ことが難しくなる。
この点、小企業の方が、やり方によっては全体の足並みを揃えやすいと言えるであろう。
「欲」の姿が見えやすいのだ。
企業の大小にかかわらず、重要な共通目標は成果配分である。成果を経営者が独占してしまうというのでは、共通の目標になり得ないことはいうまでもなかろう。
ちなみに孫子は勝つ為の五条件をあげており、これはその一つなのである。
参考までに、他の四つの勝利の条件は次の通りである。
―――もって戦うべきこと、もって戦うべからざるとを知るものは勝つ。
戦うかどうか、正確な判断ができること。
―――衆寡の用を識るものは勝つ。
兵力に応じた戦いができること。
―――虞をもって不虞を待つものは勝つ
味方は万全な態勢を取り、敵の不備につけ込むこと。
―――将、能にして君の御せざるものは勝つ。
将軍が有能であって、君主が軍事に干渉しないこと。
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●用兵の害を知らざれば、用兵の利を知ること能わず
「戦いの弊害を充分認識しておかなければ、戦いによって十分な利益を収めることは出来ないものだ」
すべてのものはメリットとデメリットの両面がある。どちらか一方ということはあり得ないのである。得るものにだけ目がくらんで、そのために失うものがあることを考えなければ失敗する。
だから、どちらにしても、その一面だけをみていたのでは、本当に物事を理解することはできない。
「孫子」にはなお、こんな言葉もある。
―――知者の慮は必ず利害を雑う。利を雑えて務め信なるべきなり。害を雑えて患解くべきなり。
「思慮の深いものは、必ずプラスとマイナスの両面を考える。マイナスだけでなく、プラス面も考えるからこそ、やることに間違いがなくなるのであり、プラスだけでなく、マイナス面も考えるからこそ、わざわいを未然に防ぐことができるのである」
プラス面を見れば積極性が出てくるのだ。マイナス面だけ見ていたのでは、やる気がなくなるのは当然である。プラス面を強調することが必要だ。だが、逆に希望的な観測でプラス面しか見ていなかったならば、これは危険である。
“両面思考”でなければならないのである。
ものしりコラム
【遠交近攻】 利害のぶつからない遠くの国と同盟して、近隣の国を攻撃するという戦略。外交戦略から人間関係にまで広く使われる。 中国の戦国時代のことだ。范雎という策士が秦の昭王に進言した。 「お国は要害に囲まれた天険の地です。しかも大きな武力を擁しています。天下に覇をとなえるのは難しいことではありません。しかし、隣接する国を飛び越して遠く離れた国を攻めるのは得策ではありません。むしろ、遠国と結んで近国を攻めるのがよろしい。一寸の地を得ればその一寸が一尺の地を得ればその一尺が、確実に領土となります」 以来、遠交近攻は秦の国策となった。 |
●兵は詭道なり
昔から「戦いは敵を欺くことだ」という孫子の兵法をめぐって賛成と反対の意見がある。反対は「詭道は仁義に欠ける」というのであり、賛成は「戦う以上、詭道もやむを得ない」「詭道もまた道である」というのである。
だがこの両者いずれにしても、道徳的な意味の「道」にこだわりすぎる。
大人の喧嘩にしたって、ただ正面から噛み合うだけではないだろう。相手と自分の力をはかって後ろに飛び退ったり、横から食らいついたりするだろう。まして、人間の生死をかけた戦いである。『孫子』が言うところは、ただの「だましのテクニック」ではなく、最小の犠牲で最大の効果をあげるコントロールの技法なのだ。言うなれば味方の力はフルに生かし、敵の力は実力以上に押さえる為の心理的駆け引きなのである。
その具体的な方法について『孫子』は具体的に言及している。そのいくつかをあげると。
・敵に近づこうとするときは遠ざかるような振りをし、逆に遠ざかるときは近づくような振りをする。
・敵に有利なように思わせて誘い出す。
・敵を混乱させておいて攻撃する。
・敵が充実しているときは、勝ちを急がずにこちらの戦力を充実する。
・敵が強いときは、ぶつからないようにする。
・わざと敵を怒らせ、精神の平衡状態を破る。
・わざと下手に出て、敵を慢心させる。
・敵がやたらに動かず休養しているときは、徴発して奔命に疲れさせる。
・敵が団結しているときは、何とかしてこれを崩し、同盟関係があれば何とかして離間させる。
・敵の無防備のところを攻める。
・敵が油断しているところを撃つ。
・敵が攻撃してくれば逃げ、敵が交代すれば追撃する、などなど。
ただしこれらの作戦には決まった公式はないとして『孫子』はこういう。
―――これ、兵家の勝ち、先に伝えるべからざるなり。
これらの作戦は「奇襲法」であって、正攻法ではないから、あらかじめ伝えておくことはできない、というのである。
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●迂をもって直となす
弾道を考えてみよう。
近距離を撃つピストルの弾道は直線に近いが、遠距離を撃つ大砲の弾道は大きな軌道を描く。まして、月へ到達するロケットともなれば、複雑な弾道計算をして、まるで反対の方向に打ち上げる。
つまり、遠くまで届く為には、遠ければ遠いほど「迂」でなければならないのである。これがいわゆる“迂直の計”である。
私たち日本人は、とかく気が短いから、早く目的を遂げたいと思うあまり、短絡的に行動しがちである。
そこへ行くと、広い大地の上で行き、なあがく厳しい歴史に荒波をくぐり抜けてきた中国人は、この“迂をもって直となす”という考え方が身に付いている。
これを端的に表したのが、かつて革命に成功した中国共産党の戦略である。
第一に、中共はまず都市を奪取するのでなく、農村で革命を起こして根拠地を作り、最後に都市を攻めるという、二段階の戦略をとった。農村という「迂」を経過することで都市を取る「直」を成功させていたのである。
第二に、一九三〇年代の前半、中共は南部の江西省で解放区を作っていたが、国民党の包囲網に締め付けられ一九三四年一〇月、十万の中共軍は西に脱出、やがて北に転じて十一省、十七の大河、十八の山脈を越えて辺境を大迂回し、三十五年十月、陜西省延安に到着、ここを中央根拠地にして、日本軍と国民党軍に対する最終的な勝利を勝ち得たのである。この大迂回作戦を「二万五千里の長征」という。
第三の例が一九三六年十二月のことだ。当時、中共軍を討伐する為に西安に駐屯していた張学良が中共側に近づいているのに不安を感じた総統の蒋介石は、督戦の為に南京から西安に飛来した。だが張学良は彼を監禁してしまった。延安に駆けつけた中共の周恩来の説得で、蒋介石は統一して日本軍と戦うことを約束して釈放されるのだ。
この時、長年の敵である蒋介石を処罰せよという意見も多かった。だが、中共は、彼を抗日統一戦線の要にする戦略をとったのである。もし彼を処刑していたら中国は分裂し、抗日戦争どころではなかっただろう。
短絡的に、憎い敵だから殺してしまえというのでなく、釈放という「迂」によって、抗日戦争の勝利という「直」を勝ち得たのであった。
“迂直の計”は長期戦略に欠くことの出来ないものである。
●得意の時、すなわち失意の悲しみを生ず
「調子がよいと思っているときこそ、その中に失意の芽が潜んでいる」
危ないのは調子に乗りすぎることだ。人間は弱い。すぐ慣れっこになってしまう。こんな言葉がある。
―――習い性となる。
よい意味でも悪い意味でも、習慣になるとそれは生まれつきの天性と同じようになってしまう。よいことが習慣になるならよいが、調子のよさに慣れ、贅沢になったり、人を見下したりするのが恐ろしい。やがて、それは必ず災いの種となり、やがて失意の芽となるであろう。
慣れはエスカレートする恐れがあるものだ。
中国古代の王朝殷の最後を飾った紂(ちゅう)王が象牙の箸を作った。今なら象牙の箸など珍しくないが、当時とすれば大変な贅沢品だったのであろう。
伯父の箕子が嘆いてこういった。
―――象箸玉杯ならば、必ず菽霍を羮にせず。
「象牙の箸や玉の杯などを作れば、食べ物も贅沢になり、豆や菜っ葉のような汁では満足しなくなるだろう」
箕子の恐れは現実になり、紂(ちゅう)王の暮らしは次第に豪華となり、栄華を極めた後に搾取を強め、殷はついに崩壊してしまうのである。
得意な状態にこぎつけるまでには時間がかかるが、失意の状態に落ちるのに時間はかからない。それを指摘した名言がある。
―――成立の難きは天に升るがごとし、覆墜の易さは毛を焼くがごとし。
落ちるときはあっという間なのだ。
―――千丈の堤も螻蟻の穴をもって潰え、百尺室もの突隙も烟をもって焼く。
「螻蟻(るぎ)」はアリやケラのような虫、「突隙(とつげき)」はかまどの隙間である。
良くも悪くも、この世に変化しないものはない。悪い状態の時に失望せずに希望を持つのと同様、好調の時は油断しないことである。
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●治において乱を忘れず
人はとかく環境になれて、状況が変化したときのことを考えない。これは危険である。特に現在のように変化の激しい時代には、あらゆる変化を予測して、対策を立て心構えをしておかなければならない。
これは、占いの原点であり変化の哲学である「易経」の中にある、次の言葉から生まれたものだ。
―――君子は安らかにして危機を忘れず。
―――存して亡を忘れず。
―――治して乱を忘れず。
―――ここをもって身安らかにして、国家保つべきなり。
「君子は安定しているときにも、不安定になったときのことをいつも考えておかなければならない。生存しているときでも滅亡のことを考えておかなければならない。平和に暮らしているときでも、乱世のことを忘れてはならない」
対極にあるときのことを前もって考えておけば、間違いないのである。
これは古来、日本でも、武士の心得としてもっとも大事なことであった。
豊臣秀吉の軍師であった竹中半兵衛にこのような言葉がある。
―――刀を常に帯して座敷につくこと、古来より然り。近頃は刀を脱ぎて別所に置き、或ひは多くの刀とともに一つに置くことなれり、志あらん輩、その心得あるべきなり。同じところに刀多くあれば、急なるときに取り違えることもあるなれば、人の刀は横にいたさば、わが刀は立て掛け置き、または人の刀と振り違えて置き、人の刀あらん所を除きて、別の所に置くこと心得べし。
「昔は、座敷に座るときも帯刀のままだったものが、近頃は座敷では刀を外してほかの場所にかけたり、或いは多くの刀をひとまとめにしておく習慣になった。そこで思慮あるものは、これに対処する心得を持たねばならぬ。同じ所に多くの刀があれば、急の場合に取り違えることもあるから、人の刀が横になっていれば自分のは立て掛けておくとか、或いは逆に置くとか、違うところに置くなど用心することだ」
刀の置き方という小さなことだが、この考え方は、やはり「治にいて乱を忘れない」ものということができるであろう。
一事が万事である、いざというときの為に、平素から周到な用意をしておくことである。
●兵形は水に象る
「戦闘隊形(兵形)は、水を見本とする(水に象る)のがよい」
この言葉を説明して『孫子』は次のように続ける。
―――水の形は高さを避けて低きに趨き、兵の形は実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて流れを制し、兵は敵によりて勝ちを制す。故に兵に常勢なく、水に常形なし。
「水が高いところをよけて低いところに従って流れていくように、戦闘も敵の強いところは避けて隙をついていくのがよい。水が地形にしたって流れていくように、戦いも敵の力によって勝ちを制していくようにする。水が固定した形を持たないように、軍の組織も固定せず、必要に応じてすぐ改変できるようにしておくことである」
組織というものは、ともすれば肥大化し、固定化しがちであり、次第に活力を失っていくものだ。
戦う為の理想的な組織は、固定した組織を持たないことである。
プロジェクトの為の一時的なチームなどは、この考えに基づくものといってもよいだろう。
必要に応じて流動的に編成され、形を変えて、終了すれば解散する。それでこそ変化に対応できるのである。
『老子』はこういっている。
「天下に水よりも柔軟なものはない。しかも固くて強靱なものを浸蝕していくのに、水より強力なものはないのである」
ものしりコラム
【風林火山】 武田信玄の旗印として有名な「風林火山」は、『孫子』の兵法の一部から引用したものである。すなわち『孫子』軍争論にこうある。 その疾きは風のごとく、 その徐かなることは林のごとく、 侵掠することは火のごとし、 動かざることは山のごとし 疾風や火勢のように激しく行動するかと思えば、林や山のようにどっしりと動かない。 |
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●忠言は耳に逆らえども行いに利あり
こんな笑い話がある。ある新任の長官が部下に示す布告を張り出した。
「今後、わが行動に意見のある者は遠慮なく具申せよ。追従をいうことは禁止し、あえて追従する者は処罰する」
これを見た役人のひとりが、意見を具申した。
「新長官の布告には感銘しました。必ず遵守いたします。追従を禁止するなどということは、今までにないご命令であります」
長官は大いに気をよくし、この男を昇任させた。
建前は別として、忠言は耳ざわりだし、お世辞を言われて怒る人はいないが、それは何の役にも立たないどころか害があるだけだ。これに反して、忠言は耳ざわりだが、役に立つ。忠告には素直に耳を傾けたいものである。
この名言には次の対句がある。
―――良薬は口に苦いけれども、病に利あり。
“良薬は口に苦し”という金言はこれが由来である。
秦代の末、政治が乱れて反乱が起き、将軍の劉邦は秦の都を陥落させたが、豪華な宮殿や美女に目がくらみ、そこに居座ろうとした。だが、参謀役の張良が進言した。
まだ劉邦に天下を取るだけの力はなく、実力者の項羽を敵に回すことはできない。それに、秦の非道を非難して挙兵しながら、秦の非道をそのまま引き継いだのでは、人心はたちまち離れてしまうだろう。
張良はこの道理を説いて劉備を諫めたのである。
その際に張良が引用したのがこの名言である。
この名言は当時かなり広く流布していたもので、特に対句の“良薬は口に苦し”は現在に至るまで広く用いられてきた。
なお三世紀に成立した『孔子家語』という本には、この言葉が孔子がいったものとして引かれている。
また、『史記』商君伝には、次のような言葉もある。
―――苦言は薬なり、甘言は疾なり。
●馬上に居りて得たらんも、馬上をもって治むべけんや
戦争のことだけではない。企業にしても、操業時代と、守り育てる時代では、そのリーダーシップは同じではない。これを同じ調子でやれば必ず失敗する。
前三世紀、漢の始めに陸賈という学者がいた。
彼は漢の高祖が項羽と天下を争って勝ち、漢帝国を創立するに際して、弁舌をもって力を尽くした人物である。
漢帝国が成立すると、彼は宮中顧問官となり、高祖のご意見番の役割を果たすようになった。
彼はことあるごとに、学問が必要なことを高祖に説いた。
うるさくなった高祖は、ある時、陸賈を怒鳴りつけた。
「わしは馬上で天下を取ったのだ。書物などに用はないわい」
すると陸賈はこういった。
「馬上で天下を取ることはできても、馬上で天下を治めることはできませんぞ。大昔、殷王朝を創設した湯王や周王朝を創始した武王をご覧下さい。これらの王は確かに武力で敵を倒して天下を取りましたが、天下を取った後は、文徳によって治めたのであります。文と武を併用することが、天下を取り、それを末永く保持していくための秘訣です。
昔、呉王夫差や晋の知伯は武力に頼りすぎて滅びました。また、晋は刑罰を厳しくしすぎて結局は滅んだではありませんか。もしも、晋が天下を平定した後、仁義を実践し、先聖の政治に学んでいたら、陛下が秦に代わって天下を取ることはできなかったに違いありません」
高祖は一瞬、面白くない顔をしたが、ややあって言った。
「なるほど、そういうものかもしれぬな。一つ、わしのために秦が天下を失った理由、わしが天下を取れたわけ、また、昔からのさまざまな国の興亡について、書物にしてくれぬか」
そこで陸賈は国家存亡のありさまを書いた。
一編を書き終わるたびに高祖に献上し、高祖は常にこれを賞賛した。
漢帝国は途中、中断があったとはいえ前後四百年にわたって続くが、これほどまでに長期政権を保つことができたのは、「馬上をもって治べけんや」という陸賈の教えがものをいったのである。
何事であれ、操業と守成の原理は異なるのである。
必要とする才能・人材・仕事の進め方、組織のあり方、意志決定の仕方など、すべてにわたって変えていかなければならない。
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●民の口を防ぐは、水を防ぐよりも甚だし
周王朝は、初めのうちは立派な王が続き、善政を敷いていたが、十代目の王の代になると、政治が乱れてきた。人々の不満が高まり、王の政治のやり方を批判する者も多くなってきた、補佐役の召公が諫めた。
「このままではご命令に従う者がいなくなりますぞ」
脂、は怒って、巫女に命じて王の悪口を言う者を探させた。巫女は神霊の力で、人々が陰で言っていることを察知できると信じられていたのだ。
巫女が、誰それが王をそしっていますと報告すると、王は直ちにそのものを処刑した。王の悪口を言う者はいなくなったばかりか、人々は道であっても目と目を見合わせるばかりで、政治向きのことには口をつぐむようになった。
脂、は得意になり、「だれもわしのことをとやかく言わなくなったわい」といった。たまりかねた召公が諫めた。それがこの言葉である。召公はこの言葉に続いて、こういった。
「水をせき止めると、必ずあふれ出します。批判を禁じてはなりません」
だが脂、は聞かず、やがてクーデターが起きたのである。
ものしりコラム
【処女】 「処女」という言葉は、今ではもっぱら肉体的な意味で使われているが、もともとはそうではない。 「処」というのは、世間に出ずにまだ家にいるということで、「処女」はまだ嫁に行かない娘、「処士」は部屋住の男のことをいった。 昔は、まだ嫁に行かない娘は、殆どが「肉体的」にも処女であったことから、やがて「処女」と言えば、もっぱら肉体的な意味で使われるようになったのだ。 ところでそもそもの「処女」のルーツは『孫子』の兵法である。『孫子』にこうある。 ―――初めは処女のごとく(すれば)敵人、門戸を開く。後に脱兎のごとく(すれば)敵拒ぐも及ばず。 「最初は処女が恥じらうような態度をとればよい。敵や油断して警戒を緩めるであろう。そこで、いきなり逃げ出したウサギのように、猛然とぶつかるがよい。敵は防御しようと思っても、もう間に合わない」 |
●大行は細謹を顧みず
さしもの秦帝国も、始皇帝が死んだとたんに乱れだした。これは、その最後の時の物語である。
将軍劉邦は、南の道づたいに秦の都の咸陽に一番乗りをし、たちまち陥落させてしまい、都の近郊に布陣した。
その時、進言する者がいた。
「東の函谷関を固め、後から入ってくる者を阻止した方がよいでしょう」
劉邦はこれを容れ、函谷関に部隊を派遣した。
一足遅く咸陽を目指した項羽は、前進を遮られて激怒した。自分は反秦連合軍の盟主とも言うべき立場にあり、劉邦ごときに妨げられるいわれはない。彼はたちまち守備兵を蹴散らし、関中に入って鴻門というところに布陣した。
「明日は劉邦軍を撃滅してくれようぞ」
項羽の方が圧倒的な軍事力を持っており、戦いとなったら到底劉邦に勝ち目はない。たまたま項羽の陣中に従軍していた伯父の功伯は、劉備の傘下の張良と旧知の仲であり、せめて張良だけでも逃がしてやろうと、密かに劉邦の陣屋を訪れ、張良にあって逃亡をすすめた。
だが、張良は自分だけが逃げるわけにいかないとして、功伯を劉邦に引き合わせた。劉邦は項羽の決意を知って驚き、功伯を仲立ちにして、翌日、鴻門を訪れ、項羽に陳謝することになった。
これが有名な「鴻門の会(もしくは鴻門の宴)である。
席上、劉邦は、つまらぬ男の進言に惑わされて函谷関を固めたことを詫び、項羽も一応は了承した。だが項羽の軍師である范増は、劉邦をいま亡き者にしておかないと将来禍根を残すと考え、座興の剣幕にこと寄せて劉邦の暗殺を企てた。
危険を察知した劉邦は便所に立った。
そのまま退去しようとしたものの、劉邦は項羽に無断で立ち去ることをためらった。
その時、随行していた樊喰がいったのがこの言葉である。
「大きな目的のためには、小さなことに関わってはいられません。いまのわれわれは、まな板の上の魚も同然です。命が危ないというのに、何で挨拶など要りましょうか」
劉邦はなるほどと思い、そのまま自分の陣に戻り、危機は回避された。
後に両者の全面対決となり、最終的に劉邦が勝って漢帝国を樹立するのである。
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●一旦の功、万世の功
功績や仕事の成果は、大きく言って二種類に分けられる。一つは「一旦の功」(一時的な成果)であり、もう一つは「万世の功(長期的な成果)である。
この言葉が生まれたのには、こんないきさつがある。
秦の始皇帝は天下を統一したが、あまりにも強権的だったため、彼が死ぬと、たちまち世の中が乱れ始める。そして劉邦と項羽が五年にわたる死闘を続けたあげく、劉邦が勝利して漢帝国を樹立する。
劉邦は論功賞にあたり、大方の予想に反して、戦場に一度も出たことのない蕭何に最大の領地を与えた。ついで宮中の席次を決めるときも、劉邦は彼を第一位にしたい思ったが、臣下一同は最大の成果を上げた曾参を第一位に推薦した。劉邦も無理押しできず決めかねていると、鄂君という臣下がこう進言した。
「一同の考え方は間違っておりますぞ。だしかに曾参殿は、城攻めに功績を挙げられたが、それは『一旦の功』に過ぎません。蕭何殿は後方の根拠地にいて、兵糧・兵器を補充し、陛下が安心して戦えるような態勢を整えました。これこそ『万世の功』であり、『一旦の功』に優るものです。なにとぞ、蕭何殿を第一位、曾参殿を第二位になさって下さい」
この進言がものをいって、蕭何は第一位、曾参は第二位と決まったのである。
漢帝国を創建するまでに、劉邦を補佐した重要人物はいずれも個性的で、逸話も少なくない。だが、この蕭何については、めざましい逸話は残っていない。彼は、それほど地味で着実な仕事をしていたといえる。成功の基礎は派手なものではないのである。
功績の評価に当たっては、表面的な現象や数字だけを基準にしてはならない。大局的な見地に立ち、長期的に見て貢献度ということを忘れてはならないのである。
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【先覚者】 一般より先に目覚めた人のことを「先覚者」という。この言葉は『孟子』が出典である。『孟子』は、殷王朝を開いた湯王を補佐した伊尹の言葉として、こう引用している。 ―――天のこの民を生ずるや、先知をして後知を覚さしめ、先覚をして後覚を覚さしむるなり。 われは天民の先覚者なり。 天が人間を発生させたとき、まず知ったものが後の者に知らせ、まず自覚したものが後のものに覚させた。知識と自覚には後先がある。わたしは先覚者なのだ。 |
●久しく尊命を受くるは不祥なり
前六〜五世紀の中国、いまの蘇州を中心とした呉の国と、それより南、紹興酒で有名な紹興を中心とした越の国とが死闘を繰り返した。悦の重臣范蠡は王の勾践を補佐して呉を滅亡させ、功績をあげて大将軍に任ぜられたが、得意の絶頂にあってこう考えた。
「高い名声の下に安住しているのは、かえって危険であり、しかも名声は永続するものではない。おまけに、わが君主勾践の人柄を考えてみると、苦労しているときは一緒にやれるが、成功した後、共に行動するのは難しい」
彼は勾践が止めるのを振り切って辞表を提出した。成功した後、かつて苦労を共にした者同士が分裂したり、かつて功績をあげた臣下が粛正されたりすることは、史上よく令のあることである。
はるか後年のことになるが、秦が滅亡した後、項羽と劉邦が覇権を争い、結局劉邦が勝って天下を得た。そのまま軍事部門における第一の功労者は韓信であった。その韓信は漢帝国が成立した後、反乱を企てたとして粛正されている。
これは古今東西、共通した権力の構図である。
明哲范蠡はそれを心得ていたのである。彼は運搬できる限りの放物を荷造りし、一族や郎党と共に船に乗り、回路を斉に向かった。
斉はいまの山東省にあたり、海産物を初めとして物産に恵まれたところである。
古来、中国南部から海岸線沿いに水路が発達しており、古代の稲作も長江下流からこのルートで北上したのではないかという説が有力なほどである。
范蠡は斉の海岸に着くと、鴟夷子皮と改名し、一家をあげて殖産に努めた。
その結果、彼はたちまちのうちに巨万の財産を築き上げた。斉の人々の間で范蠡の名声が高まり、宰相に就任してほしいと要請されるまでになった。
范蠡は感慨を込めて呟いた。
「民間にあっては財産を蓄積し、官途については大臣宰相となる。これが人民として幸せの極地であろう。だが反面から見ると、いつまでも高い地位を占めているのは危ない」
彼は宰相就任を断り、知友や郷党の人々に財産を分け与え、高価な財宝だけをもって、立ち去った。そして、密かに陶というところに移り住んだ。
ここは交通の要衝で、物資の集散地であり、事業を営むに好適なところだと目につけたからである。彼はここで「陶朱公」と名乗り、農業・牧畜を営むと共に、交易にも従って、またもや数億に身代を築き上げ、悠々と余生を送ったのである。人は辞めどきが肝心だ。
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