てんしのひとみ | Best Production | ||
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●衣食足りて礼節を知る
これはいまの山東省にあった斉の国で、二千六百年ほど前に宰相をしていた管仲の言葉である。
ただし、管仲の元来の言葉はこうだ。
―――倉廩実つれば礼節を知り、衣食足れば栄辱を知る。
倉の中が一杯なになるくらい豊になって初めて礼節を知ることができ、毎日の衣食が充分になって初めて名誉とか恥とかいうことの大切さがわかる。
この言葉の上半分と下半分を合成して、標題のように言いならわしているのである。
この管子という人は、塩の専売制度を採り入れたりして重要物資を国家管理し、流通や物価政策を実施し、財政・税制を合理化するなど、当時通しては革新的な運営をして経済を発展させ、斉を強国に仕上げた人物であるだけに、この言葉には説得力がある。
確かに、喰うものも食えずに礼儀もヘチマもない。
腹が一杯になってこそ、心のゆとりも出てくる。
「金持ち、喧嘩せず」ともいう。
―――礼儀は富足に生ず。
個人でも社会でも、同じことが言えるのである。
だが、人間というものは一筋縄ではいかない。衣食が足りれば、必ず礼節を知るとは限らないのだ。むしろ、金持ちの方が万事につけ欲が深く、汚い場合だってある。
貧しくとも「清く正しく美しく」生きている人だって多い。むしろ、貧乏人同士の方が、人情味豊かだとも言える。こんな日本の古いことわざもあるではないか。
―――武士は食わねど高楊枝
「高楊枝」とは悠々と楊枝を使うことで、空きっ腹でもゆったり構えていることをいう。
孔子は、弟子が「貧乏でも卑屈にならず、富んでも傲慢にならないというのはどうでしょう」という問いにたいして、
―――貧にして道を楽しみ、富て礼を好むに如かず。
「貧しくとも清貧の生活を楽しみ、金持ちになっても礼をつくす、これが最高なのだ」といっている。
●むしろ貧賤にして世を軽んじ、志を肆にせん
魯仲連はいまから二千数百年昔の戦国時代、一匹狼として諸国を遊歴し、「自由な賢者」というべき存在であった。彼は宮仕えをしたことがなく、あることで斉がかれに爵位を贈ろうとしたところ、それを断った。これはその時の言葉である。
「志を肆にせん」とは気の向くまま自由な生き方をすること。この言葉の前に「富貴にして人に屈せんよりは」という一節がつく。
中国には古来、猛烈な出世競争の物語がある反面、全く富や地位に背を向けた話しも少なくない。
これも戦国時代のこと、楚の国に「変わり者接与」といわれる賢者がおり、畑を耕して自給自足の暮らしをしていた。
ある時、楚王の使者が黄金と馬車をもって召聘のためその家を訪れた。
「どうか先生にご出馬願い、淮南の長官としてその地を治めて頂きたいのです」
だが接与は笑って答えない。使者はとりつく島がなく帰って行った。
ほどなく外出していた妻が帰宅し、車の轍を見とがめていった。
「あなたは若い頃から出世などしたくないとおっしゃっていましたが、お迎えの車が来たのですね」
「黄金と馬車を持参して、出仕してほしいと言ってきたのだよ」
「まさか承知なさらなかったのでしょうね」
「金持ちになったり出世するのは、人がみな望むところだというのに、おまえさんはなぜ嫌がるのかね」
「自分で耕して食べ、自分で紡いで着る。それで充分に満ち足り、暖かい思いをしています。人の俸禄を受け、立派な車に乗り、ご馳走を食べたからといって、それがどうなるというのです」
「もちろん、わたしは承知しなかったのだよ」
二人は家財道具と機織り機をたずさえ、どこへともなく姿を消した。
『菜根譚』にこんな言葉がある。
―――奢る者は富て足らず、何ぞ倹者の貧にして余りあるにしかん。
贅沢な暮らしをしていると、いくら富んでも満足しない。つましい暮らしをしながら余裕のを楽しんだ方がましだ。
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●日を新たに、日々に新たに、また日に新たなり
前一六世紀、殷王朝を創始した湯王は古代中国きっての名君といわれる。
ある時、郊外に出かけると、鳥獣を捕らえるため東西南北に網を張り、
「天より下ってきたもの、地から上がってきたもの、四方から来たもの、すべてわが網に入れ」
と祈っている者がいた。
湯王は、
「それでは捕りつくしてしまうではないか」
といい、三方の網を取り除かせた。
そして、祈りの文句を次のように変えさせた。
「左にゆきたいものは左にゆけ。右にゆきたいもなは右にゆけ。これに従わないものだけが網に入れ」
人々はこの話を聞き、
「誠に湯王は徳の至れる人だ。その徳を鳥獣にまで及ぼしている」
とたたえた。
この湯王は洗面する青銅の水盤に、次の九字を刻み込ませていたという。
―――苟日新、日日新、又日新。
「苟」は「まことに」と読む。
ともあれ、毎朝、洗面するたびに、嫌でもこの文句が目に入り、心を引き締めて一日の行動を始めたのである。
人はとかくマンネリズムに陥りやすい。初めは新鮮な気持ちで出発しても、日を重ねるにつれて惰性となり、初心を忘れてしまうのだ。
湯王は自らこれを戒めたのである。
ものしりコラム
【牛耳る】 集団の仲で指導権を握ることを俗に「牛耳る」という。これは中国の春秋戦国時代における慣習から生まれた言葉である。当時、諸侯官の国際会議では、生け贄の牛を殺してその血をすすり、盟約の誓いを立てるという慣習があり、会議の主導権を握るものが、牛の耳を掴んで首を持つ、つまり「牛耳を執る」という決まりであった。その「牛耳を執る」が牛耳るになったのである。 |
●われ日に三たび、わが身を省みる
孔子の高弟である曽子の言葉である。「三」は文字通り三回ということ以外に、数多くということを表現する場合もあり、ここではどちらとも受け取れる。
なお、曽子は反省の内容について、こう続けている。
―――人のために謀りて忠ならざるか。
―――朋友と交わりて信ならざるか。
―――習わざるを伝えしか。
「人の相談に乗りながら誠実さを欠かなかっただろうか」
「友人に不信行為をしなかっただろうか」
「自分でよく身につけていないことを、人に勧めはしなかっただろうか」
「三省」の内容は必ずしも曽子のいうとおりでなくともよかろう。人それぞれに、それぞれのテーマについて、毎日、反省してみたらどうだろうか。
明治財界の指導者だった渋沢栄一は「論語」を座右の書としていたが、この教えを記憶術にも利用していた。彼は毎夜、床についてから一日のことを思い浮かべて反省していたが、その副産物として、不思議と物事を忘れないようになるのだった。
これについて彼はこう語っている。
「世間では、わたしが生まれつき非凡の記憶力を持ってでもいるかのようにうわさせらるが、わたしとて別に非凡の記憶力があるのでも何でもない。ただ曽子のいわゆる“三省の法”を実行し、それが多少深い印象になって、心意に残るだけのことである」
ものしりコラム
【杞 憂】 取り越し苦労のことを杞憂というが、それは「列史」という本の、こんな寓話からでたものである。杞の国のある男が、天が落ちてこないかと心配になり、夜も眠れず、食べ物も喉を通らない始末となった。見かねた人が教えてやった。 「天というのは、気が積もっただけのものだから落ちる気遣いはない」 だが、男はなお心配だった。 「では、日や月や星は落ちてこないだろうか」 「日や月や星も、みな気からできているのだから心配ない」 男はやっと安心したのだった。 |
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●知るものは言わず、言う者は知らず
『老子』はまた、こう言っている。
―――大功は拙なるがごとく、大弁は訥なるがごとし。
「本当に巧妙なものは、拙いように見え、本当の雄弁は口べたに聞こえる」
これも同じ考え方である。
昨今は情報化時代とあって、万事、売り込みが盛んである。黙っていたのでは相手にされないとばかり、声を大きくし、見た目を派手にして、人よりも少しでも目打立たせようとしている。
確かに、宣伝の必要な時代である。しかし、はたしてそれが万能だろうか。考え直してみる必要がある。だが、声を大にすればするほど、見た目を派手にすればするほど、内容は貧困となり、いたずらに騒々しくなっているのではなかろうか。黙っていて、かえってキラリと光る。それこそ本物であろう。
ものしりコラム
【明鏡止水】 くもりのない鏡と澄んだ水。そのように静かに澄みきった心を表すのによく使われる成句である。これは『荘子』に、孔子の言葉として出てくる句が出典である。 ―――人、流水に鑑みることなくして、止水に鑑みる。 流れ動いている水は鏡にならないが、静止した水は万物を映し出すのである。 足切りの刑に処せられた王駘という人物がいた。講義をするわけでも議論をするわけでもない。人を指導するようなことは何もしないのに、かれの元を訪れた人は、何かしら得るところがあった。孔子の弟子が不思議に思って師に聞くと、孔子が「人、流水に鑑みることなくして・・・・・」と言ったのである。 |
●燕雀いずくんぞ鴻鵠の志をしらんや
秦の末年、陳勝という農民がいた。家は貧しく、他の農家に雇われて暮らしを立てていた。ある時あぜ道で仕事の手を休め、ため息をついていたが、ふと独り言を漏らした。
「俺はどんなに偉くなっても、昔の仲間のことは忘れないようにするぞ」
そばで聞いていた仲間がせせら笑った。
「雇われ農夫のしがない身で、何を大それたことをいうのだ」
「頭がおかしくなったのじゃないか」
すると、陳勝が言ったのである。
―――燕雀いずくんぞ、鴻鵠の志をしらんや。
「燕雀」は、燕や雀のような小鳥のこと。「鴻鵠」は、鶴に似た大鳥とされている。
「小人物には、大人物の偉大な志はわからないものだ」
という意味である。なかなか人に理解されないとき、「俺の気持ちは俺しかわからない」とばかり、大きな自信を持つことも必要だ。あまり独りよがりになってしまっても困るが、「なにくそ」と頑張る気持ちは大切だ。
陳勝は後に暴政に抵抗して決起し、秦軍を大いに悩ませた。結局は失敗したが、彼らの決起が引き金となって秦は滅亡するのである。
ものしりコラム
【合従連衡】 戦国時代、生存競争のあげく七つの大国が残って覇を競った。 そのうち、西方、いまの陜西省に位置する秦が強大となり、他の六国は脅威を感じた。策士の楚秦は燕・斉・超・魏・韓・楚の六国を歴訪し、秦に対抗する六カ国連合を説き、これを成立させた。燕から楚まで建て(南北)に合わせるというので合従という。 これに対して、やはり策士の張儀は切り崩しを謀り、秦と他の六国がそれぞれ個別に衝(東西)を連ねて、個別に安全保障同盟を結ぶという政策を推進した。これを連衝という。初め楚秦の合従が成功したが、彼が死ぬとそれは破綻し、張儀の連衝が力を持つようになる。この二つの政策が絡み合いながら複雑な様相を呈していったのだ。 後世、さまざまな勢力が結びあって抗争していく状態を合従連衝と形容するようになったのである。 |
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●今朝酒あれば今朝酔い、明日愁い来たれば明日愁えん
唐代末の詩人羅隠の作品「自ら遣る」(自ら慰める)のなかの句である。その詩はこうだ。
得れば即ち高歌し 失えば即ち休す
多愁多恨 亦悠悠
今朝酒あれば 今朝酔い
明日愁い来たれば 明日愁えん
「思うとおりにいけば高らかに歌い、失意の身となれば沈黙する。愁いや不満の多い世の中だが、悠々とやっていこう。何、今朝、酒があれば今朝酒を飲み、明日、心配事が起きたら明日心配すればよい」
前途が不安なとき―――
心が鬱々としているとき―――
思うようにならないとき―――
そんな時は羅隠のこの句をおまじないのように吟ずればよい。不思議と心の平安に近いものを得るだろう。そうだ、明日は明日の風が吹く。流れに身を任せ、ばたつくのはよそう。
わたしはなぜか、この句と連動して『論語』に出てくる孔子の詠嘆を思い浮かべる。
―――逝くものはかくのごときか、昼夜を舎かず。
川のほとりで、止むことのない水の流れを見つめながら、孔子が呟いたのだ。泣こうと笑おうと、水は変わらずに流れていく。じたばたして、なんの意味があろう。
―――酒に対しては当に歌うべし、人生いくばくぞ。
「酒あれば愉快に飲むがいい。人生どれだけ生きられるというのか」
これは『三国志』の雄曹操が詠んだ「短歌行」の句である。
李白一斗百編。「詩仙」と言われた唐の李白は一斗の酒を飲み尽くす間に百編の詩を作ったという。
―――百年三万六千日。 一日傾くべし、 三百杯。
「百年生きたとしても三万六千日だ。だから日に三百杯は飲まなければ・・・・」
李白の「襄陽歌」である。
●過ぎたるはなお及ばざるがごとし
孔子の弟子の子貢が尋ねた。
「師(師張のこと)と商(子夏のこと)と比べれば、どちらがすぐれていますか」
孔子はいった。
「師はゆきすぎている。商はゆきたりない」
「では、師の方がすぐれているのですか」
「いや、そうではない。ゆきすぎているのはゆきたりないのと同様で、不完全なのだよ」
これに対して、ゆきすぎるくらいでないと、前進はしないという考え方もある。何事にも積極的でなければならない」やりすぎるくらいでちょうどよい、というのである。
だが、孔子は、万事についてほどほどがよいと主張していた。孔子は「偉大な」常識人であったのだ。
「菜根譚」に、こんな言葉がある。
―――倹は美徳なり。過ぐれば慳吝となり、鄙嗇となり、かえって雅道を傷る。譲は懿行なり。過ぐれば足恭となり、曲謹となり多くは機心に出ず。
倹約は美徳だが、度が過ぎると吝嗇となって、かえって疎ましい。謙譲は善行だが、度が過ぎると煩わしいし、しかもたいていは下心が見え見えである。
ものしりコラム
【竜頭蛇尾】 初め盛んで勢いがいいが、終わりは尻切れトンボでだめになってしまうことを「竜頭蛇尾」という。この言葉にはこんな由来がある。 宋代のこと、ある高僧のところへ旅僧が尋ねてきた。 「どちらからおいでかな」 すると相手はやにわに、「喝!」という。 高僧が、 「一喝されてしまったわい」 と呟くと、相手はまた、 「喝!」 という。 だが、よく様子を見ると、それほど修行をつんだようにも思えない。「おそらくは竜頭蛇尾ならん」と見て取った高僧が、問答を仕掛けると、相手は黙り込んでしまい、ついに「竜頭蛇尾」の正体を現した。 |
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●酒きわまれば乱れ、楽しみきわまれば悲しむ
斉の威王の時、淳于鯀という側近がいた。小男で風采は上がらなかったが、機知とユーモアに富み、外国への使者として派遣されても立派に役目を果たした。
ある時、威王がたずねた。
「そなたは、どのくらいの酒で酔うか」
「はい、一斗飲んでも酔いますし、一石飲んでも酔います」
王は首をかしげた。
「それはおかしい。一斗飲んで酔うくらいなら、どうして一石も飲めるのかな」
そこで鯀は言った。
「王様のご前でお酒を頂戴するといたしましょう。前後にずらりと高官が居並んで、いかめしいありさま。私はついつい緊張のあまり、一斗も飲まないうちにすっかり酔ってしまいます。
親のところに公式の客人があり、私はうやうやしくお相手をし、起立して客人の長寿をことほぐといたしましょう。私は二斗も飲まないうちに酔っぱらってしまいましょう。
久々に親しい仲間と出会い、昔の思い出話でもしながら一杯やるとしましょう。五、六斗ほどはすごすことができましょう。
無礼講で男女が入り交じり、遊びに興じながら手を握ったり、流し目をくれたり、髪飾りも落ちるようなありさまともなれば、八斗は軽くいっておりましょう。
夜も更けて酒席はたけなわ、男女はもつれあって履き物も脱げ、皿や杯は散らかり放題(杯盤狼籍)、灯も消えかけて、漂うのは肌の香り、こうなりますといつの間にか一石はすごしておりましょう。
“酒はとことんまでやれば乱れ、楽しみは過ぎれば悲しみに変わるもの”といわれるのはこのことです。
何事もほどほどということが肝要でございましょう」
「なるほどな」
王はそれ以来、夜な夜なの宴を取りやめた。
『史記』はこのエピソードの締めくくりにこう書いている。
―――極むべからず。これを極むれば衰う。
「何事もとことんまでやるべきではない。とことんまでやれば味気なくなるものだ」
●花は半開を看、酒は微酔に飲む。この中に佳趣あり
「花は半開、酒はほろ酔い、その中にこそよい趣(佳趣)がある」
確かに、ゆきつくとこまでいってしまうと、かえって味わいはなくなる。ほどほどのところにいるのがよい。
しかも、満つれば、あとは欠けることになる。満開の花は半開の花より生気に欠けて、どこかわびしい。酒についてはいうまでもなく、ほろ酔い加減の時が一番楽しく、度をすごすと不快になる。
この言葉の後に続けて、こうある。
―――もし
爛漫・ぼうとうに至らば、すなわち悪境をなす。盈満を履むもの、よろしくこれを思うべし。
「もし花が開きつくし、新酒に酔いしれてしまえば、かえって不快なことになる。満ち足りた地位にいる人は、ここのところをよく考えてほしい」
『菜根譚』は「半開」と「微酔」の美学を、生き方にまで及ぼしている。出世も金儲けも、ほどほどのところにしたほうがよいというのである。
さらに『菜根譚』には、こんな言葉もある。
―――濃艶の滋味は短し。清淡一分なれば、おのずから一分を悠長にす。
濃厚すぎる味は早く飽きがくる。淡泊であればあるほど、それだけ味わいは長持ちするものだ。
ものしりコラム
【酒池肉林】 豪華な宴をさす形容だが、これはご馳走だけでなく、いささか背徳的なニュアンスもある。よく「酒地肉林」と書かれることがあるが、これは明らかに誤記である。 中国でその存在が実証される最古の王朝である殷は前六世紀から前十一世紀まで五百年あまり続いたが、その最後の王である紂(ちゅう)王は姐己いう女性を溺愛し、昼夜の別なく宴を続けたが、池を掘って酒を満たし、肉を林のようにぶら下げ、男女を裸にして、その中を走り回らせたりした。一方、刑罰と税も重くしたため、天下の恨みを買い、ついに周のために滅ぼされるのである。 |
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●時は得がたくして失いやすし
太公望といわれた呂尚は、周が殷を滅ぼしたときの功労者であり、周王朝の成立後、現在の山東半島にある斉の国を領地として与えられた。
初めてその心領地に赴く途中、彼は宿を重ねながらゆっくりと旅をした。
ある宿で、そこの主人が言った。
「わたしは“時は得がたくして失いやすし”と聞いております。あなた様のご様子を拝見すると、ゆっくり寛いでいらっしゃる。とても新しい領地に赴任されるお方とは思いません」
呂書はハッとして、夜中に旅装を整えて出立し、斉に急行した。
栄丘というところにつくと、ちょうど、莢の酋長が攻め込んできたところだった。
呂尚は危ないところでこれを撃退した。
そして斉の風俗習慣に従って政治を行い、産業を奨励し、生活物資の生産を盛んにして、短期間の間に斉を大国に仕立て上げた。
宿の主人の一言がなかったら、はたしてどうなっていたかわからないであろう。
時を大切にする金言は西欧の“時は金なり”が有名だが中国の古典にもいろいろある。
―――時は値いがたくして失いやすし
―――時を得ば怠るなかれ、時は再び来たらず。
ものしりコラム
【一笑、江山を失う】 直訳すれば「ひと笑いのために、天下を失った」ということだ。古代中国史の有名な故事である。周王朝第十三代目、幽王のときである。 王は褒という領地がから捧げられた美女の褒似が、ひどく気に入ってしまった。だが、褒似はなぜか笑わない女であった。幽王は何とかして彼女の笑顔を見たいと思ったが、彼女の美しくも冷ややかな表情は動かなかった。 ある時、変事の際に諸侯に急を知らせる「のろし」が間違ってあがり、宮殿に駆けつけた諸侯たちは何事もなかったと知って呆気にとられた。彼らのその表情を見た彼女は初めて声を立てて笑った。幽王は彼女の歓心を買おうとして、またニセののろしを上げさせた。嘘と知ってがっかりした諸侯たちを見て、彼女はまた笑った。 以来、幽王はしばしばニセののろしを上げさせ、騙された諸侯たちは次第に駆けつけなくなってしまった。やがて反乱が起きた。幽王は慌ててのろしを上げさせたが、諸侯はだれも駆けつけず、王は殺され周は滅びた。「一笑」を得るため国を失ったのだ。 |
●過ちて改めず、これを過ちという
これは『論語』にある孔子の言葉である。
孔子は過ちについて多くの言葉を残している。
―――過ちては、改むるに憚ることなかれ。
「過ちを犯したら、潔く改めることだ」
こんなこともいっている。
―――法語の言はよく従うことなからんや。これを改むるを貴しとなす。
これは間違いを指摘されたら、すんなり改めた方がいいということだ。そして「従いて改むれば、われこれを如何ともするなきのみ」(同上)ともいう。批判を認めるだけで直そうとしない場合がよくあるが、これではわたし(孔子)もどうしようもないというのだ。
―――やんぬるかな。われいまだよくその過ちを見て、内に自ら訟むる者を見ざるなり。
「むずかしいものだ。自分の過ちを認めるだけでなく、その過ちを犯した自分の内面まで厳しく追及する者を、わたしはまだ見たことがない」
ものしりコラム
【出藍の誉れ】 弟子が先生よりも偉くなることを言う。 この言葉は「青は藍より出でて藍より青し」ともいわれ、『荀子』の次の一句から出たものである。 ―――学びはもって巳むべからず。青はこれを藍より取りて、しかも藍より青し。冰は水これを為して、しかも水より寒し。 学問は途中で辞めてはならぬ。青い色は藍を原料にして染めるが、元になった藍よりも青い色をしている。また、氷は水からできるが、元になった水より冷たい。 ただし、実は荀子のこの言葉は、もともと先生より偉くなれという意味で言われたものではない。どんなものでも、素材に手を加えなければ、素材以上にならないと言うことをいったのである。 |
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●奢なれば不遜なり。倹なれば固なり
「贅沢が過ぎれば傲慢になり(奢なれば不遜なり)、倹約にすぎればかたくなになる
(倹なれば固なり)
物と心の兼ね合いはむずかしい。
どちらかが極端になるとうまく人間性が機能しなくなる。
昨今のように、物が溢れかえり、贅沢に慣れきってしまうと、物のありがたみはもちろん、心の美しさも忘れてしまう。主体性を失って、物に振り回されてしまうのだ。
しかも、絶えず満足ということを知らず、有り余るくせに、慢性的な飢餓感に襲われているのである。
これは衣・食・住のすべてについて言えることだ。とくに、いわゆるグルメブームはなんとしたことだろう。テレビの「食べ歩き」番組がこれに輪をかけるのである。
「菜根譚」に、こういう言葉がある。
―――濃肥辛甘は真味にあらず。真未はただこれ淡。
刺激の強い酒、こってりした料理。だがそこには真の味わいはない。あっさりした感触にこそ深い味わいがあるのだ。
日本人は贅沢になれて自滅の道をたどるというぶっそうな見方がある。しかし、日本人の自制心を信じたい。それに、人間は贅沢の極致には逆に簡素な物を求めたくなるという特性を持っている。ご馳走ばかり食べていると、お茶漬けが食べたくなるようなものだ。
だから、日本人の贅沢癖も、どこかで自然に歯止めがかかるだろうと思う。
『孟子』のいう「恒産なければ恒心なし」(生活を保つ一定の資産がなければ、動揺しない道義心も育たない)ということは確かである。
だが、恒産があれば必ず恒心ができるとは言えない。
やはり自制心が必要である。心と物との関わり合いは、よほど注意しなければなるまい。
だからといって、心さえあれば物は要らないというのも非現実的である。私たちは、今さらすべての物資文明を拒否して原始人の生活に戻るわけにはいかない。自動車に乗りながら、排気ガスのことを案じているというのが多くの実際なのである。
これは明らかに、人類の進歩がもたらした矛盾である。この矛盾をどう解決するか。まだ完全な処方箋はできていない。だが、少なくとも心と物のバランスを取り戻さなければならないということは言えるであろう。
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●人間万事、塞翁が馬
国境の塞の近くに老人の一家が住んでいた。
ある時、飼っていた馬が国境を越えて逃げていってしまった。
近所のひとが慰めた。
「ひどい目に遭いましたね。がっかりなさらないように」
すると老人は答えた。
「なあに、そのうちによいことがあるじゃろう」
数ヶ月すると、逃げた馬が駿馬をつれて戻ってきた。近所の人がお祝いをいった。
「よかったですね、おめでたいことだ」
すると老人は答えた。
「そのうち悪いことがあるじゃろう」
老人の息子は乗馬が好きで、駿馬を乗り回しているうちに落馬して足を折った。近所のひとが慰めた。
「ひどい目に遭いましたね。気を落とさないように」
すると老人は答えた。
「なあに、そのうちよいことがあるじゃろう」
1年ほどして胡人が国境を越えて攻め込み、若者は招集されて住人のうち九人まで戦死してしまった。だが、老人の息子は足が悪いため招集を免れ、一家は無事であった。
漢代にできた『淮南子』という本はこの寓話のあとに、こう記している。
「幸福は不幸となり、不幸は幸福になり、巡りめぐって止まることを知らない」
この考え方は古代中国人の心を強く捉えていた。なお、ここにいう「人間」は「にんげん」の意味ではなく「世の中」ということである。
同様の言葉がある。
―――禍福は糾える縄のごとし。
「災いが福となり、福が災いとなる。災いと福は寄り合わせた縄のような物だ」という。
こうした考えのもとになったのは『老子』の次の言葉である。
―――禍は福の倚るところ、福は禍の伏すところ、たれかその極みを知らん。
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●金を取るとき人を見ず、ただ金を見たるのみ
斉の国のある男が、黄金という物を手に入れたくて矢も楯もたまらず、ある日、町に出かけた。
金を売っている店の前を通りかかると、男はやにわに金を掴んでそのまま店を出ようとした。だが、男はたちまち捕らえられ、役人の調べを受けた。
「あんな盛り場で、大勢の人が見ているというのに、悠々と金を盗んで逃げようとした太い奴だ。図々しいにもほどがあるぞ」
すると男はいった。
「金を取ろうとするあまり、そこにいる人は目に入らず、金だけしか目に入らなかったのです」
これは『列子』の寓話である。
漢代に成立したといわれる『列子』という本には、古代中国の寓話が数多く収録されている。
そこには、醒めきった目で人間そのものが分析されており、考え込まされてしまう。
この話も、人間関係における盲点に鋭いメスを当てている。相手の立場に思い至らず、自分の主観だけで判断しがちである。自分のことでいっぱいで、人のことは目に入らないのだ。
明代に成立した『笑賛』という笑話集に、こんな話が載っている。
あるいたずら者が抜け作という男に一本の草を渡して、まことしやかな顔で教えた。
「これはな、隠れ草といって世にも珍しい宝物なのだ。この草を頭にかざしていると、姿が隠れ、他人から見えなくなってしまうのだよ。これをやるから、よかったら、おまえ、試してみるがいいぞ」
抜け作は喜んで、その草を頭の上にかざし、ある店に入っていくと、平気で品物を手に取り、落ち着いて店を出ようとした。驚いた店の者が抜け作をとっつかまえ、さんざんにぶちのめした。
だが、抜け作は少しも騒がない。落ち着き払っていった。
「どうだ、俺の声が聞こえるか。いくらでも殴るがいい。いくら殴ったところで、わしの姿は見えないだろうが」
私たちは、はたしてこの抜け作と同様なことをしていないだろうか。
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●株を守りて兎を待つ
宋の国のある男が畑を耕していると、突然兎が跳びだし、そばにあった切り株にぶつかって死んだ。
苦労せずに兎を手に入れた男は、それ以来、畑仕事を辞め、切り株のそばで兎がまた跳びだしてくるのを待っていたが、兎は二度と現れず、男は国中の笑いものになったという。
古い考え方ややり方に固執して、変化に対応しようとしないことを風刺したものである。これはもちろん寓話だが、こういう石頭の人間はわれらのまわりによくいる。いや、他人事ではない。だれしも、うっかりしているとこれに近いことをしたり、これに近い考え方に陥っていることがあるから注意しよう。
これに似た、こんな寓話もある。
―――船に刻して剣を求む。
その国のある男が渡し船で川を渡っていて、うっかり剣を川のなかに落としてしまった。男は慌てて船べりに印を付けた。船が岸に着くと、男はその印の付いたところから水中に潜り、剣を探したが、どうしても剣は見つからなかった。
ものしりコラム
【朝三暮四】 猿回しの男が猿を飼っていた。猿がだんだん増えてきたので、餌にやるトチの実もなかなか馬鹿にならない。そこで男は、餌を制限することにして猿たちに相談を持ちかけた。 「これからは、おまえたちにやるトチの実を、朝三つ、夕方四つにしようと思う」 猿たちは少ないといって怒り出して収拾がつかない、そこで男は言い直した。 「わかった、わかった。それではこうしよう。朝は四つ、夕方は三つにする」 猿たちは喜んで、「それならいい」といって納得した。 この話は『荘子』という本に出ているたとえである。 いうまでもなく、“朝三暮四”も“朝四暮三”も同じことだが、猿はそれに気がつかなかったのである。実質的には同じことなのに、目先の違いでそれに気がつかないことを“朝三暮四”という。また、同じ結果なのに言い方を変えて人を騙すこともいう。 |
●歳寒くして然る後に松柏の彫むに後るるを知る
「寒い季節になった初めて(歳寒くして然る後に)、松や檜の葉が枯れないものだということがわかる。(松柏の彫むに後るるを知る)
暖かい季節の時は落葉樹も常緑樹も区別がつかない。寒い季節になって初めてその区別がわかるのである。
これは孔子の言葉である。
いうまでもない。困ったときにこそ、普段は表面に出ない人柄が現れるというのである。
また、『宋毛東野序』に、こうある。
―――物、その平らを得ざれば鳴る。
「何物でも、平静の状態では音は出ない。普段の状態が壊れ、平静でなくなったときに音が出る。人間も逆境におかれれば、調子のよいときにはわからなかった正体が姿を現す」
困ったときこそ、その人物の値打ちが問われるのである。
こんな言葉もある。
―――容れられずして然る後に君子を見る。
これには、こんな話しがある。
孔子は魯の国の最高裁判官をしていたが、政治の乱れに嫌気がさし、自分の理想を実現するに足りる国を求めて諸国流浪の旅に出た。五十五歳の時である。何人かの弟子がこれに従った。
水戸黄門の旅と違って楽な旅ではない。まして二千五百年も昔、交通も現在とは比較にならない困難なときである。孔子を煙たがる陳・蔡の重臣がその国に入るのを妨害したため、孔子一行は野中で立ち往生し、食料にも困ったことがある。
孔子は平然としていたが、弟子たちは動揺し始めた。とくに子路という気の短い弟子は「君子でもこんな目に遭うことがあるのですか」と愚痴を言った。
孔子は「君子だって困窮することはある。ただ小人は困窮すれば悪事を働くが、君子はそうはしない」といい、弟子たちにそれぞれの意見を言わせた。その中で顔回という弟子がこういったのである。それが前の言葉である。
「先生の道が偉大すぎて世に容れられないのですが、失望することはありません。思うようにならないときになって、初めて君子だということがわかるのです」
やがて楚の王と連絡がつき、一行は楚に招かれたのであった。
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●不義にして富み、かつ貴きは、われにおいて浮き雲のごとし
孔子の言葉である。
実は言葉の前に、孔子はこういっているのだ。
―――疎食を飯らい、水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす。楽しみ、またその中にあり。
「粗末な食事をして水を飲み、肱を枕にして寝る。そんな暮らしの中にも楽しみはあるものだ」
ただし、孔子は貧乏でなければならないといっているわけではない。偉大な常識人であった孔子は、正当なことをして得た富ならば否定はしていない。それどころか、正当な富を得るためなら、どんな働きも厭わないとまでいっているのだ。
また、別のところで、孔子はこの言葉について、さらに詳しく次のようにいっている。
―――富と貴きとは、これ人の欲するところなり。その道をもってせざれば、これを得るとも処らず。
―――貧しきと賤しきとは、これ人の悪むところなり、その道をもってせざれば、これを得るとも去らず。
―――君子、仁を去りて、いずにか名を成さん。君子は食を終うる間も仁に違うことなく、造次にも必ずここにおいてし、顛沛も必ずここにおいてす。
「金持ちとなったり出世したりするのは、誰しも願うところである。だが、正当な手段でもたらされたものでなければ、そこに安住しているわけにはいかない」
「貧乏暮らしやうだつの上がらないのは、誰しも嫌がることである。だが、正当な手段でそこから抜け出すのでない限り、その状態に平然と身をおくがよい」
「仁をおろそかにしても名を成したところでなんになろう。君子はいつ、いかなる時も、それこそ、つまずいて転ぶときでも、仁を忘れてはならない」
ここまで仁に徹底するのは容易ではないが、前二段はよくわかる。無理して偉くなってもなんになろう。
孔子は弟子の顔回が貧しくとも悠々と暮らしているのに深い共感を覚え、普通の人なら耐えられない貧乏暮らしの中で、楽しんでいる彼を「賢なるかな回や」と感嘆している。
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●四十にして惑わず
四十のことを「不惑」というのは、この言葉から出ている。孔子が七十をすぎてから述懐したものだが、この言葉は孔子の実際の人生とはかなり違っている。
実は、孔子は四十代で自分の生き方について、かなり惑っているのである。
当時、魯国の政治は貴族の御三家、とくに季氏が握っていたが、実際は陪臣の陽虎が牛耳り、国政を左右していた。この陽虎から孔子に協力してほしいという働きかけがあった。孔子は無冠であったが、学者としては名声があり、陽虎はそれを利用しようとしたのだ。だが、孔子はかねてから貴族の権限を削減し、君主のもとに復古的な理想政治を実現しようという考えであったから、陽虎の誘いは避けていた。しかし、再三の誘いに応じようとしたこともあった。結局、拒否したが、一時は深刻に迷ったのである。
やはり季氏の家臣の公山不狃が反乱を起こし、孔子を招聘したことがある。この時も最終的に実現はしなかったものの、孔子は一時心を動かしている。かれの力を利用しようと考え、理想とのジレンマに悩んだのだろう。
孔子は、現実は四十にして迷ったのだ。四十代は人生の転換期にあたり、迷いの多い年代である。だからこそ孔子は「迷うまい」という思いを込めて逆説的に「四十にして惑わず」といったのであろう。
ちなみに、この言葉の前後を含めての発言はこうである。
―――われ十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲するところに従えども矩を踰えず。
これはライフサイクル論として示唆に富む。
十五歳(志学)―――志すというのは、自分の意志で学問しようという気持ちを固めたということだ。
三十歳(而立)―――家庭を持ち、社会的にも一応立場ができる。この辺で、そんな自分を見つめてみよう。
四十歳(不惑)―――惑いの時と自覚し、いっそのこと惑いつくして、方向を決めよう。
五十歳(知命)―――自分の人生が見えてきた。バタバタするより天命と心得よう。
六十歳(耳順)―――老いが迫り、自我が薄れて人の意見が素直に聞けるようになってきた。
七十歳―――――――もう無理はきかない。思うままに行動しても、失敗するほどの力はない。天衣無縫に生きるとしよう。
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●桃李言わざれども下自ら蹊をなす
「桃やアンズは黙っているが「桃李言わざれども」、その木の下には人が寄ってきて自然に道ができる」(下自ずから蹊をなす)
人徳のある人のところには、自然に人が集まってくると言うことだ。
それだけの魅力が備わっていれば、とくに無理をしなくても人気が出てくるといった場合にも使われるし、さらに広く、宣伝しなくても良い物は自然に知られるという場合にも使われる。
もともと、この言葉は『史記』李将軍列伝に出ている。
李広将軍は秦以来の名家の出身で、漢の文帝・景帝・武帝までの三大皇帝に仕えた名称である。弓の名手で、匈奴との戦いにしばしば戦功を現し、一生をそれに賭けたといってもよく、将軍となった。
話しは下手で口数も少なかったが、誠実な人柄で、兵を率いて行動をしている際、飲料水の欠乏しているときに湧き水を見つけても、士卒全員が飲んでからでなければ自分は飲まなかった。また、食糧も士卒たちが全員食べたあとでなければ自分は口にしようとしなかった。
弓術については、敵が迫ってきても、射程距離に入らなければ射かけないほどで、射れば必ず命中するという腕前だったが、人柄はゆったりとして長者の風格があり、部下をがみがみと叱りつけるようなことはなかった。
そこで戦士たちは彼を慕い、喜んで仕えた。
たまたま出陣したとき、部隊が道を間違えて損害を受けたが、彼はそれを自分の責任とし、自決して相果てた。これを聞いた将兵は声を上げて泣き、老若の人民もみな彼を偲んで涙したという。
この李広について司馬遷は『史記』李広列伝のあとに一文を草し、こういっているのである。この言葉は、この文中に引用されて有名となったものだ。
「昔の言葉に“その身正しければ令せずして行われ、その身正からざれば令すといえども行われず”とあるが、季将軍はまさにこの言葉にふさわしい人物だった。
わたしは季将軍にあったことがあるが、素朴な田舎もののようで、ろくにものも言えないような様子だった。
彼が死んだとき天下の人々は、知る者も知らない物もみな深く悲しんだ。その誠実さが広く士大夫たちに信頼されていたからである。
“桃李言わざれども下自ずから蹊を成す”とう。この言葉は小さなことを言っているが、実は大きなことをたとえているのである」
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●窮すれば変事、変ずれば通ず
困った! 四方八方行き詰まりで、どうにも身動きできない。もうおしまいだ。
そう絶望する前に、『易経』のこの名言を思い浮かべて頂きたい。
「物事は行き詰まれば変化し、変化すれば道が開けてくる」
行き詰まったときというものは、その状態が永遠に続くものと思い込んでしまうものだ。しかし人間関係であろうと、状況であろうと、この世に、変化しないものなどあり得ない。どんなものでも、必ず変化するのである。そうなれば新しい道が開けてくる。それまでの辛抱だ。
もともと『易経』というのは占いの原点と思われているが、実は「変化の原理」を究めようとする本である。
この名言の前後には次のような文章がある、少し長いが引用しておこう。
―――神農没して黄帝・堯・舜氏作る。その変を通じて民をして倦まざらしめ、神にしてこれを化し、民をしてこれを宜しくせしむ。易極まれば変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し。ここをもって天よりこれを拓く。吉にして利ろしからざるなきなり。
「神農氏が没したあと、やがて天下を治めたのは、黄帝・堯・舜である。彼らもまた、前代からの風習に改良を加えることによって、生活の変化に適応させ、生産の向上と生活の安定をはかった。これを易の法則に照らして言うと、事象は究極に達すれば変化し、変化することによって新しい発展を遂げるということだ。この生々発展が永続性である。こうしてこそ“天よりこれを拓く。吉にして利ろしからざるはなし”となるのである」
陰は陽に変じ、陽は陰に変ずる。
「乾」┃┃┃ ┃┃┃という卦がある。┃が六本、つまりオール陽で構成されている。その最高位の爻に、こういう説明がついている。
―――亢龍悔あり。象にいわく、亢龍悔ありとは、盈るれば久しかるべからざるなり。
上り詰めた龍には悔いがある。なぜなら、満つれば、あとは欠けるしかないからだ。いつまでも満ちている状態というわけにはいかない。
逆に地底まで落ちたものは、今度は上昇することになる。いつまでも地底に止まってはいないのである。
変化を信じて頑張ろう。
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●人事を尽くして天命を待つ
やるだけのことをやる。あとは取り越し苦労をしても仕方がない。バタバタせずに天命にまかせよう。やるだけのことをやらずに、偶然を期待するのでは話しにならない。努力したら、後は結果にまかせるだけの覚悟が必要である。
面白いもので、努力しつくしたものほど、あとはバタバタしない。それは、諦めとは違う。努力しつくした満足感からくるものであろう。
そこへ行くと、中途半端な力しか出さなかった者ほど、あとになっていつまでもクヨクヨと心配しているように思える。
古代中国人は「天命」ということを、極めて重視した。天命については、こんな言葉もある。
―――天を楽しみ、命を知る。故に憂えず。
「天命を悟り、これに素直に従えば、何も憂えることはなくなるのだ」
もちろんその前に人事を尽くすことはいうまでもない。
さらに「天命を畏る」という。これは『論語』にある孔子の言葉である。すなわち、孔子は「君子の三畏」といった。天命のほかは、敬すべきものは「大人物」と「聖人の言」だというのである。
―――君子に三畏あり。天命を畏る。大人を畏る。聖人の言を畏る。
こんな言葉もある。
―――命を知らざれば、以って君子たることなし。
天命を悟らないようでは君子の資格はないというのである。人為の及ばない天命が存在する以上、クヨクヨしても始まらないと覚悟した方がよい。
さてまた、「人事を尽くして天命を待つ」には、もっと積極的な意味もある。
つまりこの言葉は、人のせいにしたり、運命だとあきらめたりする前に、自分のできる最大限の努力をすべきだという意味でもあるのだ。とにかく人事を尽くそう。やれるだけやってみよう。天命を待つのはそれからだ、というのである。
ちなみに、標題の名言は南宋の学者であった胡寅という人の言葉である。
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