てんしのひとみ | Best Production | ||
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1. | 敬語が使えることが社会人としての常識 | ||||||
2. | 敬語を使いこなせることのメリット | ||||||
3. | 謙譲語と尊敬語を間違える | ||||||
4. | 敬語が調和されていない | ||||||
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5. | 敬語が統一されていない | ||||||
6. | 敬意と関係ない言葉遣い | ||||||
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7. | 尊敬語を使うべきでない対象 | ||||||
8. | 過剰に使っている敬語 | ||||||
9. | おかしな言葉遣い | ||||||
10. | どう話したらよいか、戸惑う言葉遣い | ||||||
11. | よりよくするための言葉遣い |
暑いからといって大都会の真ん中を、真っ裸で歩くのはもってのほかです。「面倒だから着替えないんだ」と、客の出入りが多いきれいな事務室で油だらけの作業着のまま働いていたら、誰からも相手にされなくなって、その人の社会生活は破綻をきたしてしまうでしょう。
自分は自分の主義で行くと力んでいたら、周りの人から歓迎されることはありません。他人とのよい関係を長期的に維持するためには、多少の我慢を覚悟しなければなりません。対人関係では相手がどう思うか、ということが決め手になるからです。
人間関係にはいろいろな面で、それなりのルールがあります。話し方や言葉遣いも、まったく同じことです。ただ、言葉を発すれば事足りるというものではなく、それぞれのルールに従った言葉遣いや話し方にならないと、正常な社会生活を営むことは不可能です。
学校では、まるで犬か猫が来たみたいに、先生を動物扱いにして、「先生が来た来たっ」などといっていました。それでもとがめる人がいませんでした。家庭でも、学校へ出かけるとき、「お母さん、行ってくるよ」という子供がいます。このような言葉遣いでも、間違いを指摘する親はほとんどいなくなったようです。最近では親自身、正しい言葉遣いが分かっていない場合も多いようです。
しかし、これが一旦社会に出た場合、この間違いをそう甘く見過ごしてはくれません。
ましてや、客と接する立場にある人は、言葉遣いに十分気をつけないと、思わぬ面倒な問題を引き起こしてしまうことになります。相手との人間関係は一言で壊れてしまうし、職場での評価を落としてしまいます。
「お客さんが来たよ」
「社長がこう言っていたよ」
このような言葉遣いは、相手や話しの中に出てくる人に対する心遣いの足りないことから起こるものです。「君は25歳にもなって、そんな簡単な言葉遣いもできないのかっ」とたちまち、上司の評価は悪くなり、客からはそっぽを向かれてしまいます。そのうえ、自分の仕事にも大きな支障をきたすことになるでしょう。
この場合、内部の身近な人に話すのだったら、
「お客様がいらっしゃったよ(お見えになったよ)」
「社長がこうおっしゃった」
などにならなければいけなかったのです。
客に対して店員が、「お客様は、どれにしますか」といっているのをよく耳にします。この店員は「お客様はどちらになさいますか」と言うべきだったのです。普段使っている言葉以外は相手を敬う言葉になっていると思っている人が、意外に多いようです。
同僚以下なら「現場に行ってくるよ」でいいかもしれませんが、上司には「現場に行って参ります」と言った方がいいでしょう。
何もそんなに、いちいち難しく考えなくてもいいじゃないか。今まで、こんな言葉遣いでよかったんだから」と、いとも簡単に言う人がいます。
「俺たちの間では、こんな言葉で通用する」とか、「特別に改まらなくても、話は相手に分かればいいんだろう」「誠実に話せば通じるよ」などと開き直る人もいます。なるほど、それも一理ありそうです。
しかし話しというのは、ただ分かればいいというものでもありません。相手があるのですから、その人の持っている尺度に合わせた、いろいろな条件や原則を守る必要があるのです。
言葉遣いは、大部分、その社会で容認された慣習的な基準に従ってはかられるものです。傾向として“このようなときには、こんな言葉が使われる”という一般的な尺度があります。
「敬語なんて古くさいことを言うな」とか「話しは要するに心の問題なんだ」などという人がいます。はたしてそうでしょうか。
その誠実さを間違いなく分かってもらうためにも、それが正しく伝わるような言葉遣いと方法が必要なのだ、ということを分かって頂きたいのです。誠実さや精神的な良さはとても大事なことです。でも、話しが心だけの問題だったら、正直者が馬鹿を見るようなことはないはずです。適切な言葉を使わなかったために、思わぬ誤解を招いたり、相手を不愉快にしている人が、私どもの周りにはたくさんいることを、皆さんはよくご存じのことと思います。誠実な人がそんなことになったら、大変残念なことです。
もちろん話し方や言葉遣いは、相手に対する思いやりや愛情、あるいは誠実な心が基本であることに反対の余地はありません。しかし、誠実であり、なお相手に感じよく受け取られる言葉遣いであればもっといいということです。
というのは、自分で悪意があって言ったのではなくても、相手が悪く受け取ったということが話し方では重要なのです。その相手の受け取る尺度にどう合わせていくかが、誠実さや善意を伝えるという面でも、大切なのです。
言葉遣いを考えるときに、このような相手の受け取り方にどう対応していくかという努力が必要だ、ということを見過ごすわけにはいかないのです。
ところで、言葉遣いの代表的なものとして、敬語が揚げられます。皆さんは、毎日使っている敬語が、意外にむずかしいものだと思いませんか。
敬語にもいろいろなルールがあります。これらが正しく生かされなかったら、話しの効果や人間関係に大きな障害をきたすことになります。また、その人の社会的な品位が問われることになりかねません。
敬語の使い方が、その人の社会人としての常識があるか、ないかという事を測る尺度にもなるわけです。ですから、このルールや習慣に従わない話し手の話は、聞き手の気持ちに異質なものを与えてしまうことになるのです。
敬語が適切に使われることによって、相手とのいろいろな感情の差が埋まり、聞き手との対話がうまく調和されるのです。これをベースにして対等の話し合いが可能なのです。
敬語は、すでに長い歴史の中で、日本人の感情に定着しています。現実の社会生活では、このような慣習語を活用して、相手との調和を作り上げることが欠かせない条件になるのです。
敬語を使うことによって、どのような効果をもたらすか、日常的な場面を考えてみたら分かるはずです。
1.年齢や地位・立場など、相手とのさまざまな差が埋まり、対等に話ができる。 2.話し相手の敬意を表現していることを相手に伝えることができる。 3.場に応じたあらたまった気持ちを表現し、語調を含め、社会的なマナーを具体的に表すことができる。 4.対人関係におけるけじめをきちんとつけることができる。 |
その他、その人の教養や品格を表すことになるとか、親愛の気持ち、好意を示すこともあります。敬語を身につけていれば、どんな人でも余裕を持って楽に話すことが出来ます。
「部長がさっき申されましたことに、私も賛成です」などという人がいます。部長に対して平の社員はこれで精一杯敬語を使っているつもりでしょうが、「申す」はへりくだっていう言葉(謙譲語)です。自分のこと、または身近な人の動作に関して、「言う」場合に使う言葉です。「母がこう申しておりました」とか、「私が申しましたら」などのように使います。
この場合は、上司である部長が言った、ということですから、「おっしゃった」と尊敬語にすべきです。後の「ます」は、聴き手にかかる丁寧語ですから、「おっしゃいました」となります。
「課長、まいりませんか」などと、出かけるとき、同僚にでも言うように、ぶっきらぼうな口調で、上司である課長に催促している部下がいます。
「なんだ、その言葉遣いは」と叱られても、課長は何を怒っているんだろう、とまったくそのことの意味が分かっていない、とある管理者が嘆いていました。
この「まいる」というのは自分の行動を指して、「○○へまいりました」などというのであれば、謙譲語ですからいいでしょう。最近、普段使っている言葉といくらか違っていて、あらたまった言葉であれば、尊敬語(相手の動作を敬う言葉)になっていると誤解している人が増えているように思います。
「お菓子を買ってきました。いただきませんか」という人もいます。自分で買ってきたお菓子を勧めるときに、このような間違った言い方をして平然としている人がいて驚いたことがあります。この場合どこが間違っているのでしょうか。食べるのはすすめている本人でなく相手の方です。ここでは、自分の動作に使う「いただく」でなく、「召し上がりませんか」と、尊敬語にしなければなりません。敬語は、自分と相手との差を埋める調和後ですから、その差に対応する言葉が慣習的に一応決まっているのです。
「申す」「まいる」「いただく」などの言葉は、自分や身内のものに対して使う言葉です。相手が上位の人の場合には、相手を敬うことば、即ち尊敬語を使わなければなりません。
前述の例では、「おっしゃる」「いらっしゃる」「召し上がる」というように、尊敬語にしなければならないところです。私たちの周りには、このような誤った言葉遣いがたくさんあります。
これからは、日常的に使われている言葉の中で、間違いやすい言葉で、比較的多いものを具体的に取り上げてみます。
「まいる」 |
×「外国へまいりまして、どんなことをお感じになりましたか」
これは、アナウンサーが、外国でのスポーツの試合から帰ったばかりのゲストに感想を尋ねていた言葉です。この場合、ゲストは放送局にとってわざわざ招いた、大事な客です。アナウンサーの上位にある人ですから当然、尊敬語にして「外国での試合にいらっしゃって、どんなことをお感じになりましたか」または「お感じでいらっしゃいますか」とすべきところです。
×「Aさん、奥様がお迎えにまいっております」
相手の奥さんですから、そう気安く言ってもらっては困ります。「まいる」は「来る」のへりくだった言葉です。「書類を預かってまいりました」「行ってまいります」などのように、自分か身内の者の動作にしか使えない言葉と考えるべきでしょう。ここでは、「奥様がお迎えです」か、「奥様がお迎えにいらっしゃいました」と、尊敬語にしなければなりません。
「お・・・・する」 |
電車やバスの中で、次のような言葉をお聞きになったことはありませんか。
×「切符(乗車券)をお持ちしていない方は、お申し出下さい」
これは「お持ちでない方」「お持ちになっていない方」とすべきです。また、「申し出る」というのは、いかにも伝統的な役所言葉のようで、命令口調の響きがあります。
「おっしゃって下さい」か、「お知らせ下さい」と言い換えたら〃でしょうか。
×「ファックスが届いたかどうか、お調べして下さい」
客に調べてもらいたいというのだから、「お調べ下さい」か「お調べになって下さい」と尊敬語になります。「お調べする」は自分が調べるときの謙譲語です。このようなときには「下さい」と言い切るよりも、「お調べになって下さいませんか」「お調べ下さいませんでしょうか」などの相談形にする方が感じがいいでしょう。
×「お降りの方は、お忘れ物をなさいませんようにお支度して・・・・」
×「お客様がみんなおそろいしましたら、おビールをお持ちします」
これらは、「お・・・する」という謙譲語を尊敬語と思って、誤って使っていることになります。「お支度をなさって」「おそろいになりましたら、ビールを・・・」になります。
「お(ご)・・・・できる」 |
×「今まで簡単に手に入らなかった高級品が、手軽にお求めできますよ」
×「いつでも、気軽にご参加できる料理教室へどうぞ」
×「いつでも、ご自由にお積み立てできる自由積立貯金へどうぞ」
これらの場合、「お(ご)・・・できる」は「お(ご)・・・する」という形式の可能性ですから、謙譲語と考えられますが、客ができるということだったら、尊敬語として「お(ご)・・・になれる」という言い方に変えた方がいいでしょう。
上記の場合、前後の文脈からすると語呂が悪くていいにくいということもありますが、言葉そのものだけだとそれぞれ「お求めになれる」「ご参加になれる」「お積み立てになれる」ということになります。
「お・・・・いただく」 |
×「このコーナーは、お客様に、ご自由にお好きな品物をお選びして頂くように工夫いたしました」
これは、「お選びになって頂くように」「お選び頂くように」または「選んで頂くように」とした方がよいでしょう。
「弊店はお気軽にご利用して頂くように努めております」は、「ご利用頂く」か「利用して頂くように努めております」となります。
「よい牛乳を安くご愛飲頂くように、生産者直結の方式をとっています」も、「飲んで頂く」「お飲み頂く(下さる)」になります。
「いたす」 |
一般に見受けられる敬語の混乱は、謙譲語を尊敬語のつもりで、相手の動作や状態に使う場合が多いということです。喫茶店で次のような言葉遣いに驚くことがあります。
×「お客様はホットにいたしますか、アイスにいたしますか」
自分がそうするという意味なら、こう言うのも間違いではないでしょうが、この場合、ウエイトレスが、客の方は何にするかを尋ねている質問形ですから、「お客様、コーヒーはホットになさいますか、アイスになさいますか」と問いかけるべきです。
この種の間違った言葉遣いは、私どもの周りにたくさんあります。尊敬語、謙譲語、丁寧語については、後で詳しく述べることにします。
1.後の言葉を尊敬語にする方が安定する |
×「宅配便になさってお送りになったら、今日でも間に合います」
×「あらかじめ、お電話をなさってから、いらっしゃって下さい」
このような場合、完全な間違いではありませんが、あまり望ましい表現ではないということで×にしました。前後両方とも敬語表現にするのは過剰になって煩わしいものです。どちらか一方を敬語化するのが一般的なやり方です。傾向として前の言葉は普通の形にして、後の言葉を尊敬語にする方が安定します。「・・・にしてお送りになったら」「お電話をしてから」とした方が聞きやすい形になります。
×「入り口の方から順々に先に出た方が混乱しません。ご協力をお願いします」
この場合、「先に出られた(お出になった)方が混乱しませんので、ご協力をお願いいたします。とした方が後の敬語に調和します。
「お風邪を引いた杉山さん」は、「風邪をお引きになった杉山さん」というように、先の言葉を普通の言葉にして、相手の状態を表す「ひく」を敬語にした方が、表現としては安定します。このように、重複する敬語を省略する場合は、原則として前の方を省くのが一般的であると考えたらよいと思います。
でも、次のような場合には、一概に前の方を省くというわけにはいきません。
「3万円ずつ預けておかれますと、6ヶ月で現品をお渡しいたします」のようなときには、「3万円ずつお預けになっておきますと・・・」とした方が安定します。
2.名詞を修飾する「ます」は省く |
敬語のレベルを同じ扱いにすると、不安定な表現になることもあるので、敬語というのはなかなか複雑です。
×「向こうのかすかに見えます山が○○山です」
「です」と「ます」とを同じレベルにすると、不安定な表現になるので、最後を「・・・です」にする場合は、「向こうのかすかに見える山が○○山です」となります。
もし、「見えます」にするのなら、最後を「○○山でございます」にした方がリズムが安定します。
名詞を修飾する「ます」は、省いた方がすっきりします。
×「帰ります人たちが通りますので、道を広く開けて下さい」
○「帰る人たちが通りますので、道を広く開けて下さい」
×「仲間から清少納言といわれています今井さんを紹介します」
○「仲間から清少納言といわれている今井さんを紹介します」
×「一言居士と異名をとりました中西さんです」
○「一言居士と異名をとった(とられている)中西さんです」
×「座席の向きを変えますときには、背を起こして回して下さい」
○「座席の向きを変えるときは、背を起こして回して下さい」
これらはそれぞれ、○にした方がすっきりとして落ち着いた表現になります。
3.あまり「お」を続けて使わない |
一つの話しの中に、あまり「お」を続けて使わない方が調和した表現になります。
×「お乗り換えの方は、お時間がございませんので、お早くお降りになられますようお用意下さい」
×「お忙しいお仕事の前にお手入れをなさいますと、ご便利でございます。」
×「お塩をちょっとお入れになり、お砂糖をおさじ1杯ぐらいお入れになって、お静かにお混ぜくださいますと、それで美味しいお菓子がおできになります」
料理の先生のような「お」過剰の言葉遣いは、非常にキザな言い回しになります。わざとらしく聞こえて素直に聴いてもらえません。このような場合は、表現を変えて「お」を間引きし、過剰にならないようにしないと、敬語のリズムがくずれてしまいます。
「お」が3つ続くからでしょうか、飛行機の中のアナウンスが気になることがあります。
「私どもにご用の節は、お気軽に声をおかけください」というのがあります。この「声」は客の声ですから、当然「お声」とすべきところです。もし「お」が過剰との考えで「お声」としないのであれば「お気軽におっしゃってください」か「お気軽にお知らせください」のほうがベターと思います。
これはT放送局のアナウンサーの指導でこうしています、とのことですが、ほんとうでしょうか。客の声を言うとき、「お」を抜くのはどうしても抵抗があります。
ある部分は敬語にして、ある部分は普通の言葉にするということもあります。一方だけ敬語にしないというのはおかしなものになる場合もあります。そのようなとき、同じレベルの敬語に統一することが必要な場合があります。
「あなた」と言っていた人が、途中で急に「おまえ」と言ったり、「あの方」「あの人」と言いながら急に「ヤツ」とか「ヤロウ」と言うようになったら、穏やかではありません。聴いている方は戸惑ってしまいます。
よくありことですが、駅のアナウンスでこんなことを言っていました。
×「お乗りのお方は、降りる人がすむまでお待ちください。乗りましたら、中ほどにおつめ願います」
最初の部分だけ聴いていると、これから乗ってくる人だけを客として扱っているようですが、後で「乗りましたら」と尊敬語抜きでいっているので、乗る人だけに敬語を使って特別扱いで差別をつけたわけでもなさそうです。
それにしても、このような話し方は全体として統一がとれていない感じを与えます。
×「13番から後の番号の方は、待合室でお休みになって、暫く待っていて下さい」
これも「お休みになって」というのだったら、「お待ち下さい」「お待ちになって下さい」とすべきところでしょう。
敬語の不統一は、その人の心の不安定を感じさせたり、付け焼き刃的な感じを与えることもありますので、注意を要します。
話し手の教養の度合いや社会性を問われるのは、案外こんなところにあるようです。
1.あまりよい意味でない言葉は敬語化しない |
×「昨晩、お宅にお強盗がお入りになったそうで、大変でございましたね」
本人は至極真面目に、強盗に入られた相手に対して、同情の気持ちを表そうとしているつもりかもしれません。しかし、その気持ちとは逆に、“どうもおかしいぞ”と思われても仕方のない言葉遣いです。同情されたり、敬語を使わなければならないのは、強盗ではなく、強盗に入られた被害者の方ですから、これでは素直に受け止めることができません。ここの「入る」は強盗の行為です。悪い強盗に「お」をつけたり、「入る」を「お入りになる」と尊敬語にするのは、誠に滑稽なことです。悪い感情を表す語とか俗語は、本来、敬意と無関係です。このような場合には敬語を使う必要はありません。
×「少しお上がりになっていらっしゃいましたね。もっと楽にお話しなさるといいですね」
ある話し方教室であった言葉遣いです。実地練習の時、受講生がとても緊張して話したためでしょうか、それを批評した先生の言葉がふるっていたというので、今でも話題になっています。話し方を教えている講師が、こんな批評の仕方では困ったものです。「上がる」というような、あまりよい意味でない言葉は、尊敬語にしないのが言葉遣いの原則です。「『おあがりになっている』というようでは、上がっていたのは先生の方じゃないか」と批評された当人が、後で皮肉を言ったそうです。確かに、批評する先生の方が、力んでいたのかもしれません。
×「鏡をご覧になってはどうですか、おつらに何かついているようです」
顔に墨のような泥が付いているのを見かけた人が、このように言ったというのです。この人は親切に教えたつもりでしょうが、普段使い慣れない言葉を使ったために、そうなったのかもしれません。「お顔」ならいいのですが、「つら」に「お」をつけるのはどうもいただけません。普段使い慣れない言葉を使うと、このようにちぐはぐになり、メッキがはげてしまうものです。
×「入学試験に、お坊ちゃんがお落ちになったそうで、本当にご同情申し上げます」
同情も馬鹿丁寧になりすぎてここまでくると、言われた方は冷やかされているようで、かえってまごついてしまそうです。お悔やみや、相手の心が傷ついているようなときには、そのことをあまりあらわに言わない方が無難です。むしろ、励ましの言葉で間接的に同情の気持ちを表す方がいいようです。同じことを言うにしても、「来年は大丈夫ですよ」「他の学校は合格なさったのでしょう」「A校だけが学校じゃありませんからね」などと、その場にあった、いろいろ違った言い表し方があるはずです。
×「みんなおへばりのようですから、ここでしばらく休憩にいたします」
団体客を案内しているエージェントのガイドの言葉です。相手が応募してきた大事なお客であるからといって、何も「へばる」ことまで敬語化して言う必要はないでしょう。
2.慣用句、慣用語は敬語化しない |
×「随分遅かったですね。また、どこかで油をお売りになっていらしたのではないですか」
×「猿も木からお落ちになるというじゃありませんか、時には、誰だって失敗することもありますよ」
これでは猿に敬語を使っていることになります。「油を売る」も慣用句ですから、そのまま、まとまった言葉として使うべきものです。
×「ご予算に応じて、最初からしっかり計画を立てますので、足をお出しになるようなことはありません」
足を出すのは、確かにお客かもしれません。でも「足を出す」は、これで一つの句として使っているものですから、慣用句として、そのままの形で使うべきです。
×「あの人ってね、Aさんにプロポーズしたら、簡単にヒジテツ食べちゃってさ」
これは聞いた話ですから、真意のほどは分かりません。どうも話がうますぎます。作り話かもしれませんが、ちょっとやりかねないフシがあります。「食った」を俗語と見て、少し上品に「食べちゃった」としたのでしょうが、聞いた人はピンとこなかったでしょう。ここまでくると、言葉遣いの病も相当思いようです。このような言葉遣いをする人と同じレベルの人は、プロポーズするたびに、きっと「ひじ鉄を食った」ことでしょう。
×「あの人、ホントにひどい人ね。他人の言葉遣いが悪いって、いつも言っているのよ。自分のこをを棚にお上げになって」
ひどいのは話し手の方じゃないですか。「棚に上げる」という慣用句を飾ってみても始まりません。その言葉がどんな意味を持っているのか、どんなときに使うべきかが分かっていなければ、その言葉を使ったためにかえって自らの教養の低さを暴露してしまうことになってしまいます。
×「あんな会合に参加なさって、馬鹿をご覧になったのではありませんか」
このようなことを、ある団体の役員から聴いたことがあります。その団体の1人の婦人が話していたのだそうです。この話もできすぎているような気がしますが、何かの弾みに出たのならともかく、「馬鹿を見る」を敬語化することが本当に正しいと思っていたとすれば、この人はどうかしているとしか言いようがありません。
×「とうとうあの人、兜をお脱ぎになったそうですよ」
それを聞いた人も、「兜を脱ぐ」という慣用句を知らなくて、「どうして今頃兜なんかかぶっていたのだろう」と不思議がったというのですから、漫才ではあるまいし、どっちもどっちです。
慣用句や慣用語は、そのまま使うことによって味わいがあり、独特の響きを持つものですから、敬語化してしまっては、本来の語の強さや良さ、独特の味わいが崩れてしまいます。
×「先生のうちには、猫が何匹いらっしゃるんですか」
これは、猫に対して「いらっしゃる」という尊敬語を使っている例ですが、先生に「いらっしゃる」と使うのだったら分かりますが、動物には尊敬語を使いません。猫だったら「いる」でいいわけです。
先生に対しては「先生が来た」などという学生が、面と向かうと急にあらたまってしまって、こんな珍妙な言葉を発したりします。使い慣れない借り物の言葉を使うと、こんなことになりかねません。
言葉遣いという点からすれば、自分の家のものでも、先生の家のものでも、猫には尊敬語を使いません。次のように言い換えるべきです。
○「先生のお宅には、猫が何匹いるのですか」
○「先生のところでは、猫を何匹飼っていらっしゃるのですか」
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×「係長のネクタイは、随分派手でいらっしゃいますね」
○「係長のネクタイは、随分派手ですね」
係長が派手だというのなら話は別ですが、ネクタイに尊敬語を使う必要はありません。ただし、「素敵なネクタイをしていらっしゃいますね」というように、係長の行為にかかる場合は「いらっしゃる」を使います。
×「一方通行にしましてから、交通事故がだいぶ減っていらっしゃるんですか」
○「一方通行にしてから、交通事故が随分減っているのですか」
交通担当官がどんなに偉い人であっても、憎むべき交通事故まで、あらたまって尊敬語を使う必要はないでしょう。
×「佐藤さんのお宅の方では、水道がはいっていらっしゃいますか」
○「佐藤さんのお宅の方では、水道が入っていますか」
ふだんは「なに言ってんのさ」などと、ぞんざいな言葉を使っている人たちが、いきなりあらたまるから、こんなちぐはぐな言葉遣いになってしまうのでしょうか。
×「今日は強い北風がお吹きになっていますね」
○「今日は強い北風が吹いていますね」
行為や状態の主体が人間でないのに、尊敬語を使う人がいます。このような言葉は、うっかりして出る場合もあります。意識して、あるいは無意識に、また、間違ってなど、いろいろな場合があります。いずれにしても、話し全体の品位を落としてしまうという意味では同じことです。
×「この次もまた、珍しい鳥にたくさん出て頂きます」
テレビ司会者の言葉だそうです。どこが狂っているのでしょうか。聴き手が迷うような言葉を使うときには、言い換えをした方がいいようです。
「この次も珍しい鳥をたくさん見て頂きます」と視聴者を中心にするか、「この次も珍しい鳥をたくさん出して頂きます」と、出品者を中心にして話すことです。
×「この部屋には、いい風がお入りになりますね」
○「この部屋には、いい風が入りますね」
風など、天然現象まで尊敬語を使う形式は、女性の会話に多いという人がいます。
動物や天然現象を話し手より上に見て尊敬語を使い、また相手に丁寧な言葉を使おうとして間違ったりします。結果は動物を敬ったり、天然現象に敬意を表する言葉遣いになってしまいます。敬語化すべきは行動や状態の主体になるものは、あくまで人間です。これを忘れないで下さい。
×「お宅に一番長くいらっしゃる犬はどれですか」
○「お宅に一番長くいる犬はどれですか」
×「車がよくお止まりになってから、降りて下さい」
○「車がよく(完全に)止まってから、降りて下さい」
×「皆さんにお渡りになっている教科書の10頁を開けてみて下さい」
○「皆さんに渡っている(お渡ししてある)教科書の10頁を開けて下さい」
△「インコにエサをあげたの」
○「インコにエサをやったの」
△「犬にご飯をあげなさい」
○「犬にご飯をやりなさい」
△の「あげる」という言葉は、「やった」「くれた」の謙譲語でしょうが、「やった」を俗語と考え、響きがよくないというので、特に女性はそのまま使えないという人がいます。美しくしたり、上品にするための丁寧語や美化語として、この表現は最近慣習化しつつあります。
◎ ◎ ◎
このような例は、あげればきりがないほどたくさんあります。本来、敬意を払うべきでないものに敬語をつけるのはおかしなものです。テレビやラジオなど、子供に与える影響が大きいものです。幼稚園言葉、マダム用語など、それがどんなことになるか、もっと真剣に考えて欲しいものです。
敬語が過剰であったり、逆に不足しているために対話が滑らかに進まないことがあります。これは話し手と、話題になっている人や聴き手との間のさまざまな差を埋めるための待遇語としての、言葉遣いが適切であるか、どうかということに原因していることがよくあります。
二重敬語も過剰な敬語の一つです。
×「社長がお帰りになられる」
これは「お・・・になる」と「られる」という形の違う尊敬語化する言葉を2つとも「帰る」にかぶせた二重敬語です。「社長がお帰りになる」か「社長が帰られる」か、どちらかにすべきところです。
×「先生がおっしゃられた」
これも「おっしゃる」がすでに尊敬語になっている上に「・・・られる」という尊敬語化する助動詞を重ねた二重敬語になっています。このようなとき、「先生がおっしゃった(おっしゃいました)」か、先生が言われた(言われました)」か、どちらかにするのが一般的です。「いらっしゃられる」も同じ二重敬語です。
◎ ◎ ◎
最近、「お(ご)・・・される」という形式の言葉遣いが多くなりました。
「お話しされたように・・・」(和語)
「ご結婚される」(和語)
「ごにゅういんされる」(和語)
このような言葉遣いは一般化されつつあるとの考え方と、「お・・・になる」か、やや古風な言い方になるが、「お・・・なさる」のようにしたほうがよいという立場をとる人がいます。次のように、
「お話になったように・・・」
「ご結婚なさる」
「ご入院なさる」
としたほうがよいという考え方です。また、あくまで「お・・・になる」か「・・・れる」にすべきだという人もいます。言葉は慣習に従いますので、その職場の慣習に従えばよいでしょう。
「おめしあがりになってください」も「めしあがる」がすでに尊敬語である上に「お・・・になる」という尊敬形式が重ねられる二重敬語です。ただ、「召し上がって下さい」も、やや軽い感じがすると考える人もいます。
私は、二重敬語よりも「召し上がって下さい」がよいと考えます。
「お見えになる」は明らかに二重敬語でありながら、一般化しつつあります。「来る」の尊敬語「みえる」と「お・・・になる」の形式の組み合わせたものですから二重敬語ですが「みえる」は敬意が薄れているとの考えから「お見えになる」が定着しています。「おあがりになる」も「飲食する」の尊敬語「あがる」と「お・・・になる」との二重敬語になっています。しかし、「上がる」は敬意が低くなって、現在では慣習的に「お・・・になる」という尊敬形式の中で用いられるようになってきました。
「おうかがいする」の「うかがう」は謙譲語ですが、慣用的に固定してしまった言葉遣いとして「お・・・する」の形式に入れるようになりつつあります。「ご芳名」「令夫人」など本来二重敬語であるから誤りだという考えもありますが、広く一般化されています。結婚式場で司会者が「ご新郎、ご新婦が入場します。どうぞ拍手でお迎え下さい」と言います。「新郎」「新婦」自体が敬意を表している敬称です。「ご」はいりません。
敬語の混乱は目に余ると言いますが、敬語そのものよりも、おかしな言葉遣いも目に余るものがあります。
×「1万円からお預かりいたします」
一流のデパートの店員は、さすがにこのような間違いはありませんが、弁当やレストランのチェーン店、コーヒーショップ、コンビニエンスストア、ある種の百貨店などではあるバイトだけでなく、本職の店員まで、このような言葉遣いをして平気のようです。
私は「誰から習ったの」「マネージャーの指導なの」などとよく尋ねてみるのですが、ほとんど他人から学んだ形跡がないのです。それでいて、上司や先輩から注意をされたこともないようです。いつ頃から、それがどこで言い出されたのかよく分かりません。「正しい日本語を」と叫んでいる人たちから叱られそうです。
“1万円から6千円もらう”のでしたら、預かるのは1万円です。ですから当然これは「1万円お預かりします」「4千円のお返しでございます」とすべきです。
×「お名前を頂戴します」
これもかなり広い範囲で使われているようです。
これもおかしな言葉遣いの一つです。「頂戴する」は「もらう」「食べる」の謙譲語です。頂戴するのは、具体的なものをいただくとか、たまには「その言葉をいただきます」など、知識、言葉を使わせて下さい、という意味に使う言葉です。名前を頂戴するというのを強いて言えば、「いい名前だから、それをいただく」とか「有名な人の名にあやかって」そうなるように子供に名付けるというのもありますが、ここで言っている場面ではそのように使うのではなさそうです。
接遇用語として慣習的に使われている言葉があります。
「お名前はなんとおっしゃいますか」
「どちら様でいらっしゃいますか」
「○○会社のどなた様でしょうか」
など、その場面にあった使い方があるはずです。こんな言葉に出合うと、「バブルの時代に、儲かった成金趣味みたいな、ギラギラした感じがして、悲しい」といった人がいましたが、なるほどと思ったことがあります。
×「・・・とか」「・・・のほう」
「私は今、コンビニでアルバイトとかやっています」「お酒とか飲みに行きませんか」など、若い人たちの中で、「とか言葉」が使われています。自分自身の考えをはっきり表現したくない、ある程度ぼかした言い方ということのようです。字引的な言い方では「とか」は、話すとき次々に思いついたことを並列して言うときのつなぎ言葉であったはずです。上記のような言葉遣いは、自分の意志を消極的に表現した、新しいタイプの話し方であろうというわけです。
これに似た表現に「・・・のほう」があります。「課長のほうに報告します」と言って、上司に「なぜ、課長に報告する、と言えないで曖昧にするのか」と叱られた人がいます。
「とか」や「ほう」は、現代人の自信のなさを示しているように思えてなりません。「もっとはっきりしろ」と言いたくなります。
×「これから○○会議が開かれます」
このような司会者がいる、と質問を受けたことがあります。「開会されます」と言うこともあるらしい。どちらにしてもこれはおかしな言葉遣いと言うことになりましょう。
「これから○○会議を開きます」と宣言すればよいわけです。どうしてこうなったのか、その会議を開くのは、その会が一番上位の人、つまり偉い人が開くのだから、という意味らしいですが、司会者とは、会の進行に全責任を持って預かる人ということ、また、その時の開会を宣言する役割を委任されているというのですから、持って回った言い方をしないのが理にかなっています。
独裁者か、旧帝国時代の軍隊で天皇の名において、というのと同じようなものです。民主的な会議は、参加するメンバー全員肩書きを外して、対等の立場で話し合うのを原則としています。そんな意味でも「開会されます」の言葉遣いは改めるべきでしょう。
私たちは、次のような言葉を気楽に使っています。耳になじんでしまったり、うっかりしてということもありますが、よく考えてみるとおかしいということがあります。
×「・・・で(も)いいですよ」
「珈琲とジュース、お茶がございますが、どちらになさいますか」と聴かれたとき、「お茶で(も)いいですよ」というような答え方をする人がいます。どうも、この「で(も)」が引っかかります。「珈琲にしてもジュースにしてもたいしたことはなさそうだ」のようなニュアンスを感じさせるからです。また、飲み物をサービスしてくれる人への感謝の気持ちが感じられません。このような場合の答え方は、「お茶をお願いします」「お茶をいただきます」とした方が感じがよいでしょう。
また、尋ねる方も油断すると、「部長もお茶でいいですか」ということになります。これでは選択の余地がないような感じになります。「何になさいますか」と、相手が自由に選択するように問いかけるべきです。
×「用意してございます」
あるパーティに参加しました。司会者が「本日は料理も、飲み物もたくさん用意してございます」といっていました。前後の文脈からして、この「ございます」が気になりました。
この「ございます」は、「ある」の丁寧語ですが、状態や存在を意味する場合に使います。主催者が意志的に用意する動作としては使えないと考えられています。
「カタログやサンプルは出口のところにございますので、どうぞご自由にお持ち帰り下さい」の場合ならよいでしょうが、「サンプルを皆様にお渡しするように準備してございます」になるとおかしくなります。「準備しております」「用意しております」にすべきです。
司会者が「たくさん用意しております」といえば、違和感を持たせることはなかったでしょう。
△「どうぞ、お気をつけて」
人と別れるとき、客を見送るとき、よくこの「どうぞ、お気をつけて」といいます。これはおかしいというわけです。「気をつけて」に「て」がついて動詞化した言葉だから、「お」をつけることは本来できないはずだ、という考え方からきているようです。
これは、「たしせいせい(多士済々)」をたしさいさいという言い方や「病膏肓(こうこう)に入る」を「病膏肓(こうもう)に入る」という言い方と同じようなもので、本来は誤用ですが、いわゆる慣用として使われています。
正しくは、「お気をつけて下さい」とか「お気をつけになって下さい」にすべきだという考え方があります。
×「申し受けさせて頂く」
「3回以上、受講日を変えられますと、受講料の半額を申し受けることになっていますので、ご参加できる日がはっきり確定しましてからご連絡頂きたいのですが」と申しましたら、「申し受けさせて頂きますので・・・」とすべきではないかという人がいました。
「申し受ける」は、「受け取る」の謙譲語です。それにわざわざ「・・・せていただく」の謙譲語化する言葉を加えて、持って回った表現にする必要はないでしょう。
×「祝電がたくさんまいっております」
ある会社のパーティで、司会者が「祝電がたくさんまいっておりますので、ご披露させて頂きます」といっていました。
「まいる」は「来る」「いく」の謙譲語ですから、この場合、相手の打ってくれた祝電には使えないということがあります。また、「祝電がまいる」と、電報そのものに敬語は使わないという考え方がありますので、これではおかしいということです。「もらう」の謙譲語にして「いただく」「頂戴する」にした方がよいでしょう。「祝電をたくさんいただいていますので・・・」といえば間違いないでしょう。
×「これをもちまして」
敬語のようで敬語でない言葉遣いというのがあります。「これをもちまして、定期総会を閉会にさせて頂きます」などと言うのは、株主総会などでよく聞きます。
「・・・をもって・・・す」の変形だという人がいますが、あまりにももってまわった表現は、スピーディな現代のテンポにはなじみません。「これで定期総会を終わります」でいいはずです。
×「・・・ますです」
これは「ます」「です」と、2つの丁寧語を重複させて使った言葉遣いです。重複敬語とでもいっていいかもしれません。
「そういうこともございますです」「そんなことをいている人もいますです」「それ以外に手はありませんです」など、どうも不安定です。このような場合は「です」を取った方が安定します。
次のような場合は、どうでしょうか。「きょうは雲がかかっていて富士山はよく見えませんでしょう」「その日はうちの橋本君がまいりますでしょう」これらは日常生活でよく使われます。
「誰も残っていませんでした」は、高度の丁寧重複表現としてまともであると、国語学者の大石初太郎先生はおっしゃっています。
×「A先生を使ってみましたが・・・」
B先生はある会社から研修を頼まれて行きました。控え室で、研修担当者から「昨年まではA先生を使ってみましたが、評判ほどでもなかったので頼むのをやめました」という話を聞かされて緊張したということです。と同時に、B先生は「その代わりに私も使われているということだ」と、イヤになったという話しをしてくれました。同じようなことは何回も聴いていますので、多くの担当者が、無神経にこのような言葉遣いをしていると言うことになります。
B先生が不愉快になるのは、分かるような気がします。直接には言われていなくても、A先生の代わりになったというのであれば、B先生も当然使われているということになるからです。
「A先生にお願いしていました」くらいにしたらどうですか。だいたい、同じ立場にある講師に対して、他の講師のことであっても批評すること自体危険なことです。このようなときには慎重を要します。歯から出た言葉を消す薬はないのです。
△「すみません」
ビジネス用語には、謝りの言葉に「申し訳ございません」「相すみません」「すみません」という接遇用語があります。この「すみません」は「すまない」の丁寧な表現で、お詫びの言葉、お礼の言葉、依頼の言葉、呼びかけの言葉として、最近ではよく使われています。
「どうもすみません」
「すみません、ちょっと失礼します」
「すみませんでした。お陰様で助かりました」
「すみません、これを篠崎部長に渡してくれませんか」
「すみません、これをお願いします」
(「何か落としましたよ」に対し)「どうもすみません」などと、いろいろな場面で使われます。
本来、詫びる言葉だったはずの言葉が、お礼の言葉、呼びかけの言葉、依頼の前置き言葉、注意の喚起などと、いろいろな目的に使われるようになりました。挨拶の慣用的な敬語として便利な言葉ではありますが、あまり使いすぎると、聞き苦しくなるものです。その場の状況に応じて、言い換える方が聞きやすくなるでしょう。
「恐縮ですが」
「恐れ入りますが」
「申し訳ありません」
「相すみません」
「ありがとうございました」
「ごめんなさい」
「失礼します」
「お願いします」
「もしもし、今よろしいでしょうか」
などがあります。
△「おじゃまします」
「おじゃまする」という言葉は、訪問することをへりくだって言う慣習語です。相手の仕事や時間の都合を狂わせたりすることになるので、迷惑をかけることに対する、へりくだった言葉が慣用化されたものと考えられます。
これは前述の「すみません」と同じように、その時の状況に合わせて使い分ける必要があります。「いただき言葉」に似て、帰って慇懃無礼になることもあります。
相手の都合で、是非来て欲しい、参加して頂きたいというようなときには、そう迷惑をかけるわけではないので、表現の仕方を変えた方がよい場合があります。
「喜んで出席させて頂きます」
「早速、伺います」
「喜んで、参加いたします」
と言った方が窮屈にならないでよいでしょう。
×「お茶する?」
無神経にこのような仲間言葉を使うと、品位は極端に落ちてしまいます。職場では切替が必要です。一般にこのような略したり、勝手な「仲間言葉」は公式の場では品位が落ちて、対話が崩れてしまいますので、避けた方がよいでしょう。
言葉遣いは、いろいろな条件に規制されますので、これが絶対と言うことはありません。次のような言葉遣いも、こう考えたらどうだろうか。
×「ご利用頂きまして」
「本日は○○をご利用頂きまして、ありがとうございます」と言うアナウンスを耳にします。これは交通機関の各所でよく耳にする言葉です。
この場合、自分が「もらう」ことをへりくだって「いただく」にするのと、相手が「してくれる」ことを意味する尊敬の「くださる」という言葉遣いがあります。これらは主体が違うだけで、どちらも同じことを表現していますので間違いではありません。
自分を主にする「利用してもらう」という受け身の表現よりも、もっと積極的に「利用してくれる」相手のことを中心に表現する方が望ましい、という立場をとっています。「本日は、○○をご利用くださいまして・・・」となります。
×「ご覧いただく」
職場ではよく上司に対して、「先日の企画書をご覧いただけましたでしょうか」と言います。
「ご覧」は「ご覧になる」のことです。これだけで尊敬語になります。尊敬の表現に「いただく」という謙譲表現を重ねるのは間違いだ、と言う人もいます。だとすれば、これを「先日の企画書、課長、ご覧くださいましたでしょうか」にしたら、このような問題は起こらないでしょう。
×「お褒めして頂き・・・」
「お褒めして頂き、大変光栄に存じます」といった人がいます。お褒めするは謙譲語、「・・・して頂く」も謙譲語です。このような場合は整理してくどくならないようにしたいところです。
また、「褒めてくれる」場合、目上の人に対する「あずかり」という敬語を使って「お褒めにあずかり、光栄に存じます」にします。「ご招待にあずかり、感謝いたしております」などもあります。
×「歩かれて行かれる」
「先輩は東京駅まで歩かれて行かれますか」という新入社員がいました。これは「歩く」と「行く」という2つの動詞の重なる言葉です。このような重複動詞は、2つともそれぞれ尊敬語化することができます。
この例では、「歩く」に「れる」を、「行く」に「れる」を、それぞれ尊敬の助動詞をつけています。これも耳になじみませんが、動詞を重ねるときには、どちらか一方を裸にするのが一般的な傾向です。「先輩は、東京駅まで歩いて行かれますか(いらっしゃいますか)」にしたらよいでしょう。
従来、「書いている」など、重複動詞は後の「いる」を尊敬語にして「書いていらっしゃる」とした方が安定すると考えられていました。最近では、「各」を尊敬語化して「お書きになっている」と、後の言葉を裸にする人が出てきました。
○「・・・ませ」
接遇用語として、命令形の最後に「ませ」をつける言葉遣いがあります。
「いらっしゃいませ」
「少々、お待ちくださいませ」
「お足元にお気をつけになってくださいませ」
「たくさん召し上がって下さいませ」
「どうぞ、ご自由にお持ちくださいませ」
「こちらの方もご覧くださいませ」
「お帰りなさいませ」
このように、尊敬語の「いらっしゃる」「なさる」「くださる」などの動詞に「ませ」をつけて、ソフトな感じを与える言葉遣いは、接遇用語ではとても重視されています。
「くださる」「いらっしゃる」「なさい」だけでは、響きが強いと言うことがあるからでしょう。丁寧語の「ませ」をつける慣習ができあがったものと考えられます。
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