人間関係を円滑にする知恵










1.協調と妥協は似て非なるもの

●君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず

孔子の言葉である。「和」は、ただ人と仲良くするということではない。ましてベッタリの関係になることでもない。自分の主体性は保ち、相手の主体性も尊重し、相互に認め合いながら、協調していくのが真の和である。

 

一方ここでいう「同」は、主体性を持たず、無原則的に妥協することである。ただ表面的に同調するだけで、お互いに心の中はバラバラである。

 

喧嘩をした後で、非常に仲良くなるなどということがよくある。徹底的に自己主張をしあった後、協調というところに到達した結果だからだろう。

これに反して、互いの主張をとことんまでぶつけ合わず、いい加減なところで妥協した場合は、極めてもろい結びつきだから、何か問題が起きるとすぐ壊れてしまう。

 

『中庸』にある、次の言葉も、「和して同ぜず」と同様の趣旨である。

――和すれども(りゅう)せず。

 

協調はするが、そのために流されてしまわないということだ。

 

ただし、これはいうべくして現実にはなかなか難しい。主体性を保つことを協調することとのけじめをどこでつけるか、容易ならぬ選択である。

 

なお、聖徳太子の『十七条憲法』の第一条は、『和を(もっ)てと貴しとなす』である。

これは、『論語』(学而編)の『和を貴しとなす』から引いたものだ。

 

ものしりコラム

杜撰(ずさん)

間違いが多く、いい加減なことを「杜撰」という。例えば、「彼はいい人だが、やり方が杜撰だ」「こんな杜撰な文章では人を納得させられない」などという具合である。だが、「杜」にも「撰」にも、そういう意味はない。

この語源にはいくつかの説がある。

その一。宋代に杜黙という詩人がいた。当代有数の詩人であったが、かれの作品は韻律に会わず、破格のものが多かった。そこで、格式に合わないものを杜黙が撰した(書いた)という意味で杜撰というようになった。

その二。道教の経典は「道徳経」だけが本物で、あとは唐末の学者である杜光庭(とこうてい)という人が撰した「にせものだ」ということから、杜撰という言葉が生まれた。







2.認めてやれば人間は必ず動く

●士は己を知るものの為に死す

死ぬという言い方は少し大げさな言い方だが、人が自分を理解してくれて相手に並々ならぬ好意を持つことは事実である。

逆に言えば、相手を理解してやることがいかに大切なものかということを、この言葉は示してくれる。

この人間関係についての名言は、二千数百年前の中国で生まれたものである。

 

晋の国に()(じょう)という男がいた。(はん)()という貴族に仕えていたが、それほど重く用いられなかった。ついで中行氏という貴族に仕えたが、やはり軽い役目しか与えられなかった。

三度目に予譲は()(はく)に仕えたが、知伯は彼のことを高く評価して重要な役を与えてくれた。やがて、貴族たちの間で内紛が起き、主の知伯は趙襄子(ちょうじょうし)の為に殺害された。もともと知伯は手前勝手で横暴な振る舞いが多かった為、同情するものもなかった。

 

だが、予譲はこの評判の悪い知伯の為に復讐を決意した。その時のかれの言葉がこれである。

「士は己を知る者の為に死し、女は己を愛する者の為に化粧するという。主君の恨みは俺が晴らすぞ」

 

予譲は姓名を換え、顔に漆を塗って人相まで変えて、趙襄子をつけねらった。

一度は見破られて失敗し、捕らわれてしまったが、趙襄子が「義人だ。許してやれ」といったので釈放された。それでも予譲は復讐をやめなかった。

その後、橋のたもとで趙襄子を待ち受けた予譲は、今度も見破られて捉えられた。

「おまえは何で、あの評判の悪い知伯の為に命まで捨ててつくそうとするのか」

趙襄子が尋ねると、予譲はいった。

「知伯殿は、私を一角の人物として遇してくれました。だから私も一角の人物として、その好意に報いようとするのです」

趙襄子は思わずため息を漏らした。

「もうきみの知伯に対する思いは果たしたろう。私も、これ以上きみを許すわけにはいかない、覚悟してくれ」

 

予譲は趙襄子の衣服をもらい受け、剣を抜くと三度飛び上がってこれを切った。そして、「これで知伯殿に顔向けできる」

 

といい、我が身を刺し貫いて自決した。

 

人は予譲の為に涙したという。

 

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3.人の顔をつぶさない配慮を

●いかんぞ人の邑中(ゆうちゅう)賢大夫(けんたいふ)の権を奪わんや

「よそへいって仕事をするとき、その土地の有力者(邑中の賢大夫)を立てよ」

という意味の名言である。

 

漢代のはじめ、(かく)(かい)という遊侠(ゆうきょう)の徒がいた。

若い頃は乱暴で悪事の限りをつくしたが、年をとるに連れ、義侠心が強く、人に恩を施しても謝礼は望まず、徳を持って恨みに報いるようになった。

郭解の姉の子が、郭解の威勢をたのみ、乱暴を働いたことがある。相手は怒って彼を殺してしまった。姉は敵を討つことを望んだが、郭解は調べた結果、姉の子に非があることを知り、相手を許した。

 

また、こんなこともあった。郭解が外出すると、見かけた人は皆道を避けるほどの勢いであったが、ある若者が郭解の通る道に足を投げ出したままでいた。

郭解はあとで人をやり、その男の名前を聞かせた。

「では、殺すんで・・・・」

すると郭解は言った。

「いや、わしが尊敬されていないのはまだ人間が出来ていないからだ。あの男に罪はない」

そして郭解は密かに手を回し、その若者を徴兵名簿から外させた。徴兵の呼び出しがこないので不思議に思った若者は、調べて郭解の恩義を知り、泣いて謝った。以来、若者たちはますます郭解を尊敬するようになった。

 

ある時、洛陽の者が人の恨みを買い、町の有力者が次々に仲裁に入ったが、相手は納得せず、困り果てていた。

そのものは、人を介して郭解に仲裁を頼んだ。

郭解は、夜にそっと相手の家を訪ねて説得した。相手はようやく承知した。

そこで郭解は言った。

「今度の問題では、洛陽の有力な方々が仲に入ったがまとまらなかったとか。幸いにも、あなたは私の頼みを聞いてくれて解決した。だが、よそ者の私が有力者を差し置いて話をつけたとあっては義理にもとる。何で、よその町の立派な方々の役割を奪うことが出来ましょう」

 

そして、郭解は改めて頼み込んだ。

「ここは一つ、私の仲裁には応じなかったことにし、改めてご当地の有力者を仲に立て、その仲裁で話がついたことにしてくださらんか」

 

郭解は人目につかないように、その夜のうちに立ち去った。

 

 

 

4.追いつめすぎると反発に転ずる

●囲師は周するなかれ

「師」は軍隊のこと。「囲師」は敵軍を包囲することを指す。「周」は周囲の周で、ここでは完全に包囲することを意味する。敵軍を囲むときは完全に包囲してはならないと言うことだ。

これは「孫子」の兵法の中でも重要なものの一つである。

 

完全に隙間もなく敵を包囲してしまうと、逃げられなくなった敵は、どうせ死ぬならと必死の勢いになり、思わぬ力を発揮するだろう。“窮鼠(きゅうそ)かえって猫を噛む”である。

それよりも、何処か逃げ場を開けておいてやると、敵は戦意を失い、何とか助かろうと思ってその隙間に殺到する。そこを待ちかまえていてやっつければよい。

 

これが“囲師の計”といわれるものである。

 

この“囲師の計”は、そのまま人間関係に応用できるのだ。

人間関係でも、相手にあまり完全さを求めすぎてはならない。人間には多少の隙間というか、クッションが必要である。遊びがなければならないのだ。

 

また、部下にしても子供にしても、人を叱るとき、相手をグーの根も出ないまでにやっつけてはならない。それでは、相手は反省するよりも、何とかして言い逃れようと口実探しに躍起となるだろう。それよりも、反省する余地を残して叱ることだ。

 

人と議論するときも同様である。相手をあまり追いつめてしまうと、相手は無理にでも反論しようとして、論争は違う方向にいってしまう。それよりも、相手に反論の余地を開けておくことだ。そのリードの仕方によっては、こちらの議論に同調させることも可能となるからだ。

 

ものしりコラム

【呉越同舟】

仲の悪い者、あるいは立場の違う者が、同席して行動を共にすること。この言葉は本家の中国ではもちろん、日本でも日常的に慣用されている。

呉と越とは前六〜五世紀、共に長江下流に栄えて対立し、死闘を繰り返したのである。この言葉は、もともと、呉王の闔閭に仕えた将軍の孫子(孫武)が、その兵法書の中で、こう言ったのが出典である。

 

「呉と悦は仇敵の間柄だが、両国の人間が同じ船に乗り合わせ、たまたま暴風にあって船が危ないとなれば、左右の手のように助け合うだろう。・・・・・戦上手は全軍をまるで左右の手のように協力させる。それは、そうならなければならないような状態に追い込むからなのである」

 

 

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5.中途半端な処遇はやる気を失う

●君子は己を知らざる者に屈して、己を知るものには信ぶ

斉の宰相晏子(あんし)が外出の途上、有名な賢人で、旧知の越石父(えつせきほ)が囚人姿で働かされているのを見かけた。

何かの事件に関わったらしい。

晏子はその場で賠償を支払い(当時は、賠償を払えば赦免されるならわしだった)、彼を赦免させると自分の馬車に同乗させて邸に連れ帰った。

だが、忙しさにかまけて、うっかり挨拶もせずに、そのままにしておいて、奥に入ってしまった。

 

暫くすると、越石父が目通りを願い出た。

取り次ぎの者が晏子に言った。

「越石父殿が、こう言っておられます。釈放してもらったのはありがたいが、今後の交わりは絶ってほしい、と」

 

晏子は慌てて衣服を改めると、越石父に会っていった。

「私は徳のある人間ではないが、あなたの赦免に尽力したつもりです。それなのに、絶交してほしいというのは、どういう訳ですか」

すると越席は言った。

「君子は自分を理解してくれない相手に対しては心を閉ざし(屈し)、理解してくれる相手に対しては心を開く(信ぶ)ものだ。と聞いております。

私を捉えた獄吏は、私のことを知らなかったのですから、私も心を閉じ、それですから、どんな仕打ちを受けても、何の屈辱も感じなかったのです。

ところが、あなたは私を理解しておられる。釈放にも努力して下さった。そのように私というものをよく知っておりながら、礼を欠いた仕打ちをなさった。よく知っているのに馬鹿になさったと言うことになるのではありませんか。私は屈辱を感じ、これなら囚人のままでいた方がよいと思ったのです」

 

相手を認めた以上、それにふさわしい処遇をせよということで、これには一理がある。晏子は恐縮して詫び、上客に対するもてなしをした。

 

この話は当時の習慣や考え方と現代のそれと違うこともあって、いささか分かりにくい話であるが、人を処遇する場合、中途半端ではかえって相手の心を傷つけるものだと言うことを示している。

 

 

 

 

 

 

 

 

6.公私のけじめが絶対的信頼を生む

●公会に相見え、退きて私面なし

『三国志』は、()(しょく)()の三国が対立して競い合う様相が面白いだけでなく、それを背景とした人間の絡み合いがまた興味を引く。

 

諸葛孔(しょかつこう)(めい)は、劉備(りゅうび)の軍師として彼を補佐し、蜀を打ち立てた誠実な人物として有名だが、彼には諸葛瑾(しょかつきん)という兄がいた。孔明ほど有名ではないが、瑾は呉の孫権に仕えた幕僚で、孫権の信頼が厚く、呉では欠くことの出来ない人物だった。蜀と呉は、強大な曹操の魏に対抗する為、手を結んだこともあるが、領土紛争から戦火を交えたこともあるという複雑な関係だ。

 

兄と弟が、こうした両国でそれぞれ要職についているというのは容易ならぬことである。極端に言えば、兄がアメリカの国務長官で、弟がロシアの外相というようなものだ。兄弟がライバル企業の専務であり常務であると考えても、その立場の微妙なことが理解できよう。

 

現に諸葛瑾が蜀に内通していると讒言(ざんげん)したものもいるが、孫権は瑾を信じていた。一方、劉備の孔明に対する信頼も揺るぎないものだった。

それだけに、彼ら兄弟の気配りも並々ではなかった。

 

荊州(けいしゅう)の領有を巡る交渉に際し、彼ら兄弟はそれぞれ代表として挑んだが、その時の態度を『三国志』は標題の言葉で表現している。

 

「公の会合では顔を合わせたが公会に相見(あいまみ)え」、それが終わると、私的に会うことはなかった(私面なし)」

 

この言葉は、公私の別を明らかにする名言とされている。

「公私の別」などというと、いかにも時代遅れのようなことになってしまったが、こうしたけじめだけは、きちんとつけたいものである。

 

ものしりコラム

【四面楚歌】

周囲から非難を浴びたり、周囲がすべて敵ばかりである状態を言うが、これにはこんな故事がある。

前三世紀のこと。楚の項羽と漢の劉邦が天下を争った。初めのうちは項羽が優勢であったが、やがて劉邦のほうにツキが回ってきた。項羽は垓下(がいか)というところに立て籠もったが、周囲はぎっしりと敵に囲まれた。夜になると、その、周囲を取り囲んだ軍勢の野営地から、楚の歌が聞こえてきた(四面楚歌)

 

項羽の部下である楚軍が敵に回ったのである。項羽は敗北を悟り、脱出して戦ったあげく、討ち死にした。

 


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7.礼をつくせば人は寄ってくる

●人と恭にして礼あらば、四海の内、みな兄弟なり

この世の人は、みな兄弟だ。

これは孔子の弟子の()()の言葉である。

やはり孔子の弟子で司馬牛(しばぎゅう)という男がいた。宋の人で、兄が罪を犯して出奔したため、司馬牛はその責を負って辞職し、魯にきて孔子のもとに弟子入りしたのである。そんなことから、司馬牛はいつもおどおどしたところがあり、弟子たちになじめず、孤独感にさいなまれていた。

そして「兄弟のある人はうらやましい。自分には兄弟がいないも同様だ」といっていた。

こんな彼に子夏が慰めていったときの言葉である。

 

都会人の砂漠化が進んでいる。他人同士、口を利かないのが当たり前となっている。隣は何をする人ぞというのはまだいい方で、隣に人がいること自体に無関心なのである。

よく言われることだが、タクシーの運転手さんに行き先を告げても、返事をしてもらえないことがある。こちらは不愉快になるばかりでなく、はたして行き先が相手に聞こえているのかどうか不安になってしまう。

こんなとき面白いのは、天気のことでも何でもいい、返事をしない運転手さんに何か話しかけてみることだね。それでもなお、なかにブスッとしている人もいるが、十中八九は話に乗ってきて会話が成立する。

やはり人間は相互作用なのだ。

 

こちらが「恭にして礼あらば」、相手はたいていが「兄弟」となるのである。決して捨てたものではない。

 

不思議なもので、山歩きをしていると、すれ違いざまに「こんにちは」と声をかけるのが通例になっている。都会では必要があっても口を利かないような同じ人種が、山へ行くと、とたんに、まるで人間が変わってしまったかのように、「恭にして礼ある」人々に急転換してしまうのである。やはり、お互いに同じ山道を歩いてきたという一種の連帯感がそうさせるのであろう。それにプラス、人を包み込む自然の環境によって、だれもが「善なる性」に立ち返るのであろう。

 

どうせなら楽しくやりたいものである。もちろん最近の物騒な世の中では、他人に油断はならず、笑顔はもちろん、うっかり言葉をかけるのは危ないかもしれない。しかし、それだけではあまりに味気ない。

 

進んで、四海のうちに兄弟を求めたいものである。

 

 

 

 

8.目下に問うのは恥ではない

●下問の恥じず

孔子の言葉である。

衛の国に孔圉(こうぎょ)という重臣がいた。没後、「文子」というおくり名を受けた。それについて、孔子の弟子が師に尋ねた。「子」は先生ということである。

「孔文子は、どうして文というおくり名を得たのでしょうか」

孔子はこう答えている。

 

――(びん)にして学を好み、下問を恥じず。ここをもって文というなり。

 

「彼は生来、聡明だが、さらに学ぶことを好み、身分が高いのに、下の者に教えを受けることを恥じと思わないほど探求心が強かった。だから文というのだよ」

この言葉から“下問を恥じず”というのが独立した名言となったのである。

 

とかく上に立つものは、一般的に下位の者に教えを受けることを好まないものだ。恥だと考えるのである。

これは大きな間違いだ。

 

実は下位の者に尋ねるのは多くの利点がある。

まず、尋ねることによって自分が知らなかった新知識を得ること、これはいうまでもない。相手がだれであろうが、新しい知識を得るのはよいことだ。知らないくせに知ったかぶりをしていれば、いつか、何処かで恥をかくような羽目になる。

さらに「下問」はマネージメントとして手っ取り早く、しかも極めて効果的な手段なのである。

 

上司から下問された者は決して悪い気はしない。自分の知識が役立ったことに喜びを感じて、ますますやる気が起きるはずである。つまり、これは動機付けの有力な手法になり得るのである。

 

次に、下問された者は、下問した上司を軽蔑するどころか、人間的な親しみを感じ、信頼を増すのである。うちの上司は、体面などを考えないざっくばらんな人間だということになれば、他人行儀なところは消えてしまう。

 

このように下問は「一石二鳥」の効果を持っているのである。下問しないという法はないではないか。

 

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9.韓非子に学ぶ、“成功する説得術”

●説くところの心を知り、わが説をもってこれに当つべきにあり

韓非子(かんぴし)』の著者(かん)()は戦国時代、韓国の公子であった。公子といっても妾腹だから身分は低く、臣下と同様の扱いであった。

かれは一方では当時の君主が重臣(貴族)に実権を乗っ取られていることを嘆き、君主の権力を保つにはどうすればよいかということを説いた。

 

また、その一方では気まぐれでわがままな君主に進言するのはどうすればよいかということも説いた。しかも、この進言は、君主の機嫌を損なったが最後、処刑されることも覚悟しなければならない。まさに命がけの進言術なのである。

 

この言葉は、その進言術の一説であり、進言を説得に置き換えることが出来る。

「説くところ(相手)の心を知り、自分の説き方を、それにふさわしいものにすることだ」

『韓非子』は、この言葉の前にこう言っている。

「進言の難しさは、こちらがそれにふさわしい知識を持っていなければならないということではない。また、どのように話したらよいかと言うことの難しさではない。そしてまた、思うことを言い切る勇気を持つことの難しさでもない」

 

そして標題の言葉について、こう説明している。

「相手が名誉を重んじている君主だとしよう。この相手に向かって、こうこうすれば利益がありますなどと説いたら、卑しめられたとして相手にされない。反対に、利益のことだけ考えている君主に、こうすれば名誉が高まりますなどと説いたら、これまた相手にされないであろう」

 

「心の中では利益を求めていながら、表向きは名君顔をしている君主が相手だったら、どうしたらよいか。これがもっとも面倒である。こうした相手に対して名君の心得を説いたところで、表向きは感心して聞いてくれるが、実際には相手にされない。だからといって、こういう相手に対して、実利の話しをすれば、その意見だけ盗まれてサヨナラとなってしまう。この辺のところをよくよく心得ておかなければならないのである」

 

さらに「韓非子」は進言の危険性についていう。

「仕えて日が浅く、まだ信用されていないのに、洗いざらい知識を出してしまえば、軽く見られてしまう」

「相手が秘密にしていることに、うっかり触れると身が危ない」

「第三者の話を持ち出すときは、当てこすっていると思われないように、十分注意しなければならない」

「控えめすぎると無能な人間だと思われるし、意見を述べすぎれば無遠慮者と軽蔑される」

 

 

10.孔子流“友人との交わり方”とは

●賢ならざるを見ては内に自ら省みるなり

孔子の言葉である。全文は「賢を見て(ひとし)からんことを思い賢ならざるを見ては内に自ら省みるなり」。つまり、賢い相手を見たら真似をし、馬鹿な相手を見たら「ああはなるまい」と反省しようというのだ。

孔子は人間関係では極めて貪欲である。つまり、どんな相手でも、自分の肥やしにしてしまえというのである。

 

これに関してこんなことも言っている。

――三人行えば必ずわが師あり。その善なるものを(えら)びてこれに従い、その善ならざる者にしてこれを改む。

 

「何人かで行動する場合、すべての人が自分の先生である。すぐれている相手を手本にすればよいし、劣っている相手は、これではいけないと逆の手本にすればよい」というのだ。

劣っている者、否定すべき者もわが師だというのはまさに貪欲なまでの追求心である。中国ではこれを「反面教師」という。「自分はけっしてああはならないぞ」「ああすれば失敗するのだな」という学び方は極めて強烈で実効がある。

 

こう考えると、自分にとって無駄な人間はいない。すべて栄養になり得るのである。

こう考えれば“嫌なやつ”も“苦手”もその存在学にならなくなる。嫌なやつであればあるほど、苦手な相手であればあるほど、役に立つのだ。

 

そうはいうものの、孔子は友人に有益な友人と無益な友人とがあるとして、次のようにいっている。

――益者三友有り、損者三友有り。直を友とし、(りょう)を友とし、多聞を友とするは益なり。弁辟(べんぺき)を友とし、(ぜん)(じゅう)を友とし、弁佞(べんねい)を友とするは損なり。

 

有益な友人には三種類ある。率直な人、誠実な人、教養のある人だ。

無益な友人にも三種類ある。体裁を飾る人、調子のいい人、おべんちゃらを言う人だ。

 

前の言い方を当てはめれば、有益な友人は「正面教師」であり、無益な友人は「反面教師」ということになるであろう。

 

友人を選ぶ基準として、孔子はまた、「優越感を満足させる為に、自分より劣っている者を友人とするようなことがあってはならない」といっているが、これは鋭い指摘である。

 

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11.一歩ゆずれば道は広くなる

●先を争うの経路はせまし

「先を争うと、道(経路(けいろ))はせまくなる」という意味だ。

 

手っ取り早い例がある。

電車がプラットホームに入ってきた。ドアが開く。われがちに乗ろうと思って人を押しのけようとすると押し返され、通路は狭くなる。骨が折れるだけでなかなか進めない。

そんなとき、むしろ一歩引くと、そこに隙間が出来、あとから来る人に押されるようにして電車に乗り込むことが出来る。

 

即ち、この言葉のあとにこう続くのである。

――退き後るること一歩なれば、自ら寛平なること一歩なり

 

『菜根譚』には、この種の言葉がいくつかある。言い方はやや違うが、考え方は一つである。

 

――経路(せま)きところは一歩を徒を留めて人の行くに与え、滋味濃やかなるものは、三分を減じて人の(この)むに譲る。これはこれ、世を渉る」

 

「狭い道では一歩ゆずって人に先に行かせるがよい。うまいものは全部食べずに人に譲る。こうした心がけが世を安楽に送る方法である」

 

――世に処するには一歩を譲るを高しとなす。歩を退(しりぞ)くるは即ち歩を進むるの長本(ちょうほん)なり。人を待つには一分を寛にするはこれ福なり。人を利するは実に己を利するの根基(こんき)なり。

 

「世間を渡るには人に一歩ゆずった方がよい。一歩後から行くのは先に進む基本である。人を遇するには寛大にすることだ。人に利益を与えるのは自分の利益になるものだ」

 

近頃は、先を争うのが、一般的な風潮である。とにかく人より一歩先に出ようとする。車で少しでも車間距離を開けておこうものなら、あとから来る車はたちまち追い越して前に出ようとする。なぜそんなに急ぐのだろう。次の信号ではほとんど一緒になるのに・・・・

無理な追い越しで事故を起こせば、それまでではないか。

 

話し方にも、こういう風潮が現れている。テレビの対談を見ているとよくわかるが、とにかく人より少しでも多くしゃべろうとまくし立てる。ペラペラやるから、かえって聞いている方は頭に入らない。間をおいたほうがいいということがわからないのだろうか。

 

 

 

12.自分が嫌なことは人に強要するな

●おのれの欲せざるところは人に施すことなかれ

これは孔子の言葉だが、『論語』の中に重ねて出てくる。

一回は、孔子が仲及(ちゅうきゅう)という弟子に、「仁とは何でしょうか」と聞かれ、その答えの中で行っているのである。

もう一回は、やはり弟子の子貢に、「一生の信条とすべき言葉をあげるとしたら、どんなことでしょうか」と聞かれて、やはりこの言葉をあげているのだ。

孔子がどんなにこの言葉が気に入っていたか、ということが分かる。

 

もちろん孔子は、道徳的な意味で言っているのだが、この言葉はそれにとどまらず、人間関係と心の動きについての鋭い分析という内容を持っている。即ち、自分の立場と主観的な意識だけでなく、相手の立場と心に置き換えてみるというのは、人間関係にとって極めて大事だということを示しているのである。

 

よく対話をしていて、自分のことだけしゃべっている人がいる。当人にとっては面白いことであり、他人に聞かせたい自慢なのであろうが、聞いている方はサッパリ面白くない。そうした相手の気持ちが分からないというのは、欠陥人間である。

 

自分と相手の関係を客観的に見据える。これは重要なことだ。

 

自分の嫌なことは相手も嫌なはずである。この簡単な理屈が分からなければ、人を動かすことはもちろん、頼み事、交渉、説得・・・・何にしろ円滑な人間関係は成立しない。

 

ものしりコラム

夜郎自大(やろうじだい)

世間知らずで、自分が最も大きいと思いこみ、威張っているものを「夜郎自大」という。

 

現在の中国四川省南部・雲南省・貴州省西南部の一帯の少数民族を、昔は「西南夷」と称していたが、数ある少数民族の国の中で、「夜郎」といわれる国が最大であった。現在の貴州省西部にあったとみられている。

 

この国に漢の使者が訪れたとき、王がたずねた。

「漢国とわが国とでは、どちらが大きいかな」

いうまでもなく、比べものにならないのだが、この山奥の国王にはそんなことは分からなかったのである。この話は『史記』や『漢書』にもあり、「夜郎、自らを大となす」と記されている。この由来からして「野郎自大」と書くのは誤りである。

 

 

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13.無償の愛に対し、いかに報いるか

●父母はただその疾を憂う

人間関係のうち、もっとも身近であるとともに案外難しいのが家族間の人間関係である。特に家庭生活が大きく変貌し、核家族が増えてくると、家族関係はもろいものになってくる。家族関係には、親子・夫婦・兄弟・親族といろいろあるが、ここで孔子の言葉に基づいて親子関係を考えてみよう。

 

ある人が孔子に「孝とはなんですか」と尋ねた。

孔子はそれには直接答えず、ただぽつりと言った。

「父母は子の病気((やまい))だけが気がかりなのだよ」

 

幸を云々する前に、親の子に対する無償の愛情を考えてみよ、というのであろう。これが理解できれば、そうした親心に、子としてどう対応したらよいかということは自然に答えが出てくる。

 

孔子の「原始儒教」は「孝」が中心である。儒教が国教となり、政治体制の支柱になるにつれ、考の素朴さは失われ、もっぱら家父長の権威を強調するものとなってきた。それが中国の近代化を阻害するものとして矢面に立った時代もあった。

 

しかし、本来の人間性に基づいた考は、体制がどう変わろうと根強いものを持っている。儒教の影響が未だに強い韓国では、考が形骸化している点がないでもないが、親や老人を大切にするという美点は一般の生活の中になお根強く残っている。

 

社会主義中国でも同様だ。老人支配という欠点が一方であるにしても、考は体制の中にも組み込まれている。親元から離れて勤務している者には、有給休暇で旅費まで公費負担して訪問する「(たん)(ちん)制度」というものがある。

 

さて、孔子はなおこうも言っている。

――父母の年は知らざるべからず。一はすなわちもって喜び、一はすなわちもって(おそ)る。

 

「父母の年ぐらいは覚えておくものだ。それは長寿を喜ぶ心でもあり、万一を案ずる気持ちでもある」

考の原点といってよいだろう。

 

考については孔子のこんな言葉もある。

――今の考はこれよく養うことをいう。犬馬にいたるまでみなよく養うことあり。敬せずんば何をもって別かたんや。

 

扶養するだけで、「敬う」という気持ちがなければ、家畜を飼うのとどこが変わるのか。

 

 

14.絶交した相手でもその悪口は言うな

●君子は交わりを絶つとも悪声を出さず

絶交した場合、多くの人は相手の悪口を言いふらす。また、転職した場合、前の会社の悪口を言うのが普通だ。だがそれでは根性が見透かされる。

 

戦国時代、(えん)の国に(がく)()という将軍がいた。

昭王に信頼され、斉を討って大勝利をおさめ、首都の臨しを陥落させた。彼はそのまま五年にわたって斉にとどまり、軍政を敷くとともに、残された地域の攻略を続けた。

そうこうするうちに本国の燕では昭王が没してその子が立った。恵王という。

 

恵王は太子だった頃から楽毅に悪感情を抱いていた。

そのことを知った斉の将軍(でん)(たん)は、燕の本国にスパイを放ち、こんなデマを流布させた。

「楽毅が、まだ降伏しない斉の二つの町をそのままにして攻略しないでいるのは、戦いを出来るだけ長引かせて斉に居座り、やがて斉の王になるつもりなのだ」

燕の恵王は、もともと楽毅によい感情を持っていなかったところへこの噂を聞いたので、早速、楽毅に召還命令を出した。

楽毅は自分が恵王に憎まれていることを知っているので、帰国すれば粛正されることを恐れ、そのまま(ちょう)に亡命してしまった。

 

楽毅の働きを知っている趙王は、彼を重く任用し、燕や斉に圧力をかけた。

楽毅に変わって斉の占領地に派遣された燕の将軍は次々と戦いに敗れ、斉は失地のすべてを取り戻した。燕の恵王は後悔するとともに、楽毅が趙軍を率いて攻め込んでくるのではないかと恐れ、楽毅に親書を送って自分の立場を弁明した。

 

「私が、どうして将軍の功績を忘れようか。側近が私を誤らせたのだ。私が将軍に召還命令を出したのは、将軍が久しく外国において苦労していたから、休養させるとともに、ともに国事をはかりたいと思ったからである。ところが将軍はそれを誤解し、わが国を捨ててしまったのだ」

 

これに対して楽毅は長い返書を(したた)めたが、それはこういう趣旨のものであった。

「私は非才を省みず、先王の命令のままに斉を攻略しました。思いも寄らぬ罪を被りましたが、私は趙の為に燕を討つようなことはけっしていたしません。私は“(いにしえ)の君子は交わりを絶つとも悪声を出さず”と聞いております。どうかこれに意をおとどめ願います」

 

燕王は安心し、楽毅の子に封地を贈った。楽毅は以来、趙と燕の間を往復し、両者の関係は修復されたのである。

 

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15.好き嫌いで人を評価するな

●愛するもその悪を知り、憎むもその善を知れ

『礼記』は漢代に出来た儒教の、いわば教科書である。「修養」に関する言葉が多いから、とかく説教臭い感じがして、近代以降は敬遠されがちだ。

だが、よく噛みしめてみると、なかなか味があり、ハッとさせられる言葉がある。この言葉などもそうだ。私たちが無意識のうちにやっていることを裏返してみせ、気づかせてくれるのだ。

 

確かにいわれてみれば、好きになると相手の長所だけが目につき、嫌いになると欠点だけが目につきがちである。

これに限らず、中国の古典には対句(ついく)になっている言葉が多い。それが、こうした裏返し的な発送法にピッタリなのだ。

 

原文にするともっと、はっきりする。

――愛而知其悪

――憎而知其善

構文は全く同じである。最初の字と最後の字が愛と増、悪と善、というように逆の概念になっている。それを置き換えることによって、見えなかったものが見えてくる。

 

もともと、すべてのものは「対」になっている。善と悪、愛と増、昼と夜、表と裏、男と女・・・・、それぞれが正反対のようだが、結局は一対になっており、対立しながら、どちらも離れることの出来ない相手なのだ。

 

昼は夜となり、夜はまた昼となるように転換していく。白があるから黒が分かり、黒があるから白が分かる。表には必ず裏がある。裏には必ず表がある。

 

こうした中国の伝統的な二面的発想は、醒めた目となり、人間を見据えるのに役立つ。

感情に惑わされず、人間関係では冷静な目を持たなければいけない。

 

古代中国のこと。大臣の甲が大臣の乙と反目し、ことごとに意見が対立していた。ある時、重要な案件で外国に使節を派遣することになり、王は甲を任命しようとした。ところが甲は辞退し、乙を推薦した。

「そなたたちは仲が悪いのに、なぜ乙を推薦するのか」

すると甲は言った。

「確かに私は乙を嫌っております。しかし、今度の任務は私よりも乙にピッタリで、乙の能力にふさわしいと存じます」

 

 

 

16.愛憎の変化で評価は一変する

●人はその親しみ愛するところにおいて辟す

(へき)す」は「かたよる」「えこひいきする」という意味で使われている。

『韓非子』に、こんな寓話がある。

ある財産家の屋敷が大雨の為崩れてしまった。

隣家の主人が注意してくれた。

「早く修理しないと泥棒に入られますよ」

「ありがとう、そうしましょう」

財産家の息子も注意した。

「早く修理しないと泥棒に入られますよ」

「そうだな、そうしよう」

だが、まだ修理にかからないうちに泥棒が入り、ごっそりと盗まれてしまった。

財産家はぼやいた。

「うちの息子はなかなか先見の明がある。いうとおりになってしまったわい。ところで、怪しいのは隣家の主人だ。盗みに入ったのは、やつに違いない」

 

また同じ『韓非子』に、こんな話しも記されている。

ある王様が、美少年を寵愛(ちょうあい)していた。

たまたま、少年の母親が急病になった。この知らせを受けた少年は、王様の馬車に無断で乗って見舞いに駆けつけた。王様の馬車に無断で乗った場合には足切りの刑という決まりがあったが、王様は罰するどころか、少年を誉めた。

「親孝行で感心なものじゃ、足切りの刑を恐れず、見舞いに駆けつけるとは・・・」

また、ある時、少年は王様のお供をして庭園を散歩していたが、桃の実がなっているのをみて、かじってみると、なかなかうまい。少年はかじりかけの桃を王様にすすめた。王様は感心していった。

()い奴じゃ。自分が食べるのをやめて、わしにすすめるとは・・・」

 

何年かたち、少年は年をとり、容色も衰えてきた。王様は昔のことを思い出した。

「こやつはけしからん。わしに無断でわしの馬車に乗りよった。無礼な奴じゃ、食いかけの桃をわしに食わせよった」

そして彼を処罰した。

 

『韓非子』は、「同じことを言ったのに、かつては誉められ、今罰せられるのは、愛憎の変化によるものだ」と、人の身勝手を嘆いている。

 

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17.“糟糠の妻”の由来と意味

●貧賤の友は忘るべからず、糟糠の妻は堂より下さず

糟糠(そうこう)の妻”という言葉の出典である。

「糟糠」は「かすとぬか」、つまり粗末な食物である。

 

一世紀、後漢の光武帝に仕え、副宰相となった(そう)(こう)は、清廉潔白なうえに温厚な生き方で、人望があった。彼は、収入を一族郎党に分配して、家には私財の貯えもなかったといわれる。

光武帝の姉の湖陽公主(こようこうしゅ)は未亡人であった。

光武帝は姉の為に再婚を考え、それとなく臣下の人物論をすると、公主はいった。

(そう)(こう)は風采といい、人柄といい、他の方々とはまるで比べものにならないと思います」

どうやら意中の人は宋弘らしい。

 

そこであるとき、帝は宋弘を引見するに際して、湖陽巧手を衝立の陰に座らせておいて、宋弘にいった。

「身分が高くなったら、それ相応の友人を選び、金持ちになったら妻を代えるということわざがあるが、それが人情というものだろうな」

 

妻を代えたらどうかという謎である。帝の姉ともあろう女性を側室には出来ないから、正室を代えるより仕方ないわけだ。

すると、宋弘はきっぱりと言った。

「私は、貧しかった時代の交友は出世しても忘れるべきではないし、苦労を共にしてきた妻は捨て去ることは出来ない、と承知しております。

 

帝は、衝立の方を振り返り、

「これはだめです」

といった。

 

宋弘は皇帝の義兄になるより、苦労を共にしてきた妻の方をとったのである。

 

ものしりコラム

【敬 遠】

野球の「敬遠策」とか、日常生活でも「あいつ、うるさいから敬遠しておこう」などという。この敬遠は、実は『論語』が出典である。

孔子が「忌神は敬してこれを遠ざく」といった。

 

「神とか霊魂というものは、敬わなければならないが、距離をおいて遠ざかっていた方がよい」というのである。

 






18.落ち目に人が去るのは自然の理

●富貴なれば士多く、貧賤(ひんせん)なれば友(すくな)きは固然なり

「寡き」は「少ないこと」である。「()(ぜん)」は「自然の成り行き」だ。

 

戦国時代のこと、今の山東半島に栄えていた斉の国の王族で、実力者だった(もう)(しょう)(くん)は、かれの名声を慕って身を寄せてきた食客が三千人もおり、彼はこの人たちを手厚く処遇していた。

ところが、ある時孟賞君を中傷するものがおり、これを信じた王によって孟賞君は宰相の地位から罷免されてしまった。そうなると薄情なもので、食客たちは一人去り二人去り、ほとんどがいなくなってしまった。

 

ところが食客の一人であった、ところが食客の一人であった馮驩(ふうけん)という男の働きで、彼はやがて名誉回復し、もとの地位に返り咲いた。馮驩は去っていった食客たちをまた呼び戻そうとした。彼らの中にも、また戻ってこようとするものが少なくなかった。

 

孟賞君は慨嘆して馮驩にいった。

「私は日頃から人材を愛し、けっして疎略には扱わなかったつもりだ。だから三千人もの食客がいたのである。ところが、彼らは私が一度罷免されると、みな私を見捨てて去っていってしまったではないか。どの面下げて私のところに戻ってこようというのか。もしおめおめと戻ってくる者がいたら、その顔に唾をかけて辱めてやるぞ」

 

馮驩はいった。

「その考えは間違っておりますぞ」

「はて、わしにはどう間違っているか分からぬが」

孟賞君が首をひねると、馮驩はいった。

「金や地位があれば人々が集まってくるし、なければ人が寄りつかないのは自然の成り行きであって、人を恨んでも仕方がありません」

 

「朝の市場をご覧になったことがありましょう。人々は先を争って市場の門をくぐります。ところが夕方ともなれば市場の門を入ろうとする者もありません。これは何も人々が朝が好きで、夕方が嫌いなのではありません。朝は品物が多く、夕方には品物がなくなってしまい、行っても仕方がないからです。あなた様が宰相の地位を失ったとき、彼らが去って行ったからといって、彼らを恨むのは当たりません。どうか、元通りの待遇をしてやって下さい」

 

孟賞君はなるほどと思い、また彼らを迎え入れた。

 

人間関係では、はじめからこうした原則を覚悟しておいたほうがスムーズにいく。

 

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19.うわさほど危険なものはない

●衆はこれを憎むも必ず察し、衆はこれを好むも必ず察す

職場でも地域でも、人に対するうわさほどあてにならないものはない。良いにつけ悪いにつけ、うわさの流れが出来ると、それは一人歩きしだすのである。

 

こんなたとえがある。

――三人、市に虎をなす。

 

誰かが町中の商店街で叫んだ。

「虎が出たぞ!」

だが、だれも信じようとしない。ここは山中ではないのだ。

また、別の誰かが叫んだ。

「虎が出たぞ!」

だが、やはりだれも信じようとはしない。

ところが三人目に「虎が出たぞ!」という者があった。人々はみな信用し、われがちに逃げ出した。

三人が同じことを言えば、町中に出るはずもない虎も出てくるという、うわさの恐ろしさを示した寓話である。

 

これに似た寓話で「(そう)(しん)の殺人」という話しがある。

曾参は親孝行で有名な孔子の高弟で、「曾子(そうし)」と尊称され、『労経』という著書まであるほどだ。ある時、曾参と同姓同名の男が人を殺した。早合点をした人が、曾参の留守宅で機を織っていた母親に知らせた。

「息子さんが人を殺したそうですよ」

母親は、もちろん信用せず、平然と機を織り続けていた。

二人目にまた知らせる者がいた。

「息子さんが人を殺したそうですよ」

母親は、やはり落ち着いて機を織り続けていた。

三人目にまた駆け込んできて知らせる者があった。

「息子さんが・・・・・・」

母親は終わりまで聞かないうちに顔色を変え、家の塀を乗り越えて走り出したという。

 

曾参親子のように信頼しあっていても、重なるうわさの前には弱いものだということである。

 

良いにつけ悪いにつけ、みんなが言っているからといって、うわさを信用するのは危険だ。

 

 

 

 

20.疑われそうなことには近づくな

●瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず

瓜田はウリ畑、(くつ)は履き物。ウリを盗んでいると誤解されないよう、ウリ畑には足を踏み入れないことだ。李はスモモ、スモモの木の下で被り物を直していると、スモモを盗ろうとしているように思われるから、そういうことはしないことだという。

 

ずいぶん用心深い話しだが、この句の前に次のような一句がある。

――君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に()らず。

 

疑われてからでは遅いのだ。疑われ前に、その恐れのあることはしない方がよいということである。これを略して、“瓜田(かでん)(くつ)” “李下(りか)(かんむり)”という言い方もする。

 

さて、この言葉を用いて危うく冤罪(えんざい)を免れた女性がいる。斉国の()(おう)に寵愛された虞姫(ぐき)という女性である。

威王は即位して長年たったが、自分で政治を行わず、大臣にすべて任せていた。

それをよいことに周破(しゅうは)()という侫臣が権勢をふるい、ことごとに有能の士を陥れ、無能な連中を引き上げて一味にしていた。

虞姫が見かねて、ある時王に進言した。

「破胡殿は、王にへつらって政治を乱す臣下です。これを退け、北郭(ほっかく)先生という方を登用して政治の革新をはかるのがよろしいかと存じます」

破胡がこのことを耳にし、虞姫を王に中傷した。

「虞姫は、まだ宮中に召し出される前、北郭先生と密通していたことがあります」

 

王は虞姫を疑い、彼女を監禁して調べさせた。破胡は調べ官に賄賂を贈り、虞姫の罪状をでっち上げさせた。王破胡の報告を読んだが、腑に落ちないことが多かったので、自ら虞姫を呼び出して調べることにした。

 

虞姫はいった。

「私は王様に召し出されておそばに侍り、王様の世話を申し上げること、十数年に及びました。せめてものお役に立ちたいとご進言申し上げましたが、よこしまな臣下の為に陥れられ、囚われの身となりました。今思いがけず、王様から直接のお調べを賜っております。王は泥にまみれても汚れないとか申します。私の失敗は、“瓜畑に入らず、李の下で帽子を直すな”という戒めを忘れた為でございます」

 

この一言がきいた。王は彼女に対する誤解を解き、破胡を処刑して政治を刷新し、大いに斉の国力を伸張させた。

 

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21.密談ほどよく漏れる

●天知る、地知る、子知る、われ知る。なんぞ知ることなしという

後漢の楊震(ようしん)は大臣にまでなった人である。清廉潔白で知られていた。

 

ある夜、かれの屋敷に賄賂を持ってきた男がいた。

「そんなものは受け取れない」

楊震が断ると、男はいった。

「夜のことでもありますし、だれも見ているものはおりません。知られる気遣いはありませんので、どうかお受け取り下さいませ」

男が重ねてすすめると、楊震はいった。

「天が知っている、地が知っている、()(あなた)が知っている、わたしが知っている、どうしてだれも知らないというのか」

男は恥じ入って退去した。これを“楊震の四知”という。

『小学』という本には、やや表現が違って「天知る、神知る、われ知る、子知る、なんぞ知ることなしという」と記されているが、意味は全く同じことである。

 

なおこの話は『十八史略』にも記されている。

 

日本のことわざにも、これに似たものが少なくない。

「壁に耳あり、石に口あり」

「壁に耳あり、障子に口あり」

「壁に耳あり、徳利に口あり」

「壁に耳、障子に目」

 

密談ほどよく漏れるのである。

 

ものしりコラム

天網恢々(てんもうかいかい)

「天網恢々、疎にして漏らさず」(天の網は目が粗いようだが、悪いことは絶対に目こぼしなく、捕らえてしまう)の後半を省略して、よく使われる。

元来は「天網恢々、疎にして失わず」とう『老子』の言葉から出たものである。

なお、『老子』(七十三章)にはこうある。

 

――天の道は争わずしてよく勝ち、言わずしてよく応ぜしめ、召さずしてよく来らしめ、(せん)(ぜん)としてよく謀る。天網恢々、疎にして失わず。

 


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